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東京地方裁判所 昭和27年(行モ)54号 判決 1954年8月30日

原告 片山滝男 外十四名

被告 中央労働委員会

補助参加人 品川白煉瓦株式会社

主文

被告が昭和二十七年六月二十五日付で、再審査申立人品川白煉瓦株式会社、同被申立人片山滝男外二十二名間の中労委昭和二十六年(不再)第四十六号事件及び再審査申立人砂場稔、同被申立人品川白煉瓦株式会社間の中労委昭和二十六年(不再)第四十七号事件につき、原告堀本浩に対してなした命令を取消す。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告堀本浩と被告との間に生じた部分は被告の負担とし、その余はその余の原告らの負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

被告が昭和二十七年六月二十五日付で、再審査申立人品川白煉瓦株式会社、再審査被申立人片山滝男外二十二名間の中労委昭和二十六年(不再)第四十六号事件及び再審査申立人砂場稔、再審査被申立人品川白煉瓦株式会社間の中労委昭和二十六年(不再)第四十七号事件につき原告らに対してなした命令を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

第二、請求の原因

一、原告らは補助参加人会社(以下単に会社という)の従業員であるが、会社は昭和二十五年七月二十九日原告らに対し懲戒解雇の意思表示をした。原告らは当時会社の岡山工場(岡山県和気郡備前町所在)の従業員をもつて組織せられていた品川白煉瓦株式会社岡山工場労働組合(以下単に組合又は第一組合という)に所属し、活溌な組合活動を行つていたものであつて、右懲戒解雇は正当な組合活動の故になされた不当労働行為であることを理由として、同年八月岡山県地方労働委員会に対し救済を申立て、解雇の取消、解雇の日までの賃金支払(原告砂場稔は組合の専従書記であつた理由で賃金支払の申立は棄却。)の救済命令を得たところ、会社及び原告砂場は昭和二十六年十二月被告委員会に対しそれぞれ再審査を申立て、被告委員会は審理の結果、別紙第一の命令書の理由に記載されたとおりの理由で、原告らに対する不当労働行為は認められないとして、昭和二十七年六月二十五日請求の趣旨記載の命令を発し、原告らに対する初審命令を取消し原告らの救済申立を棄却し、右命令書は同年七月中旬原告らに送達された。しかし本件解雇は不当労働行為であつて、被告の命令は次のような理由によつて取消さるべきものである。

二、原告らは次のとおり組合活動を行つたものである。

(1)  原告片山、島村、花家、橋本(真)、藤本、山崎、小橋、浅野、鈴木、砂場について。

(イ) 組合は会社の賃金制度が(総額報奨制度)賃金の安定を欠くところから昭和二十五年上旬賃金制度改訂に関する団体交渉を申入れ、原告片山は執行委員長、島村、花家は副執行委員長、橋本(真)、藤本、山崎、小橋、浅野、鈴木は執行委員、砂場は専従書記として同月二十三日から同年四月十七日までの間に九回の団体交渉を重ねた。

(ロ) 然し遂に妥結に達せずして、四月十七日ストライキを含む実力行使の決議と共に闘争委員会が組織され、右の原告らは片山を闘争委員長としていずれも闘争委員となり(砂場を除く)、翌十八日闘争宣言を発し、十九日以後一ケ月間十一回にわたり職場別、工場別、時には全工場における一定時間の職場放棄を実施し、五月十九日会社に対し翌二十日全工場全員二十四時間ストに入る旨通告したところ、会社は二十日から無期限の工場閉鎖をもつて対抗したので争議は苛烈となつた。組合は五月四日以後会社に対し再三の団交要求をしたが会社はこれに応じないので、岡山地方裁判所に対し団交拒否禁止の仮処分を申請し、同月二十六日右申請を許容する趣旨の仮処分命令を得て、二十八日団交を開いた。然し会社は組合が四月十七日の会社案を下廻る新提案を提示しなければ、団交は無意味であると主張し、団交拒否に等しい態度に出て交渉は進展しなかつた。

(ハ) 五月三十一日の賃金支払日になつて、会社はにわかに「資金繰りつかず賃金支払を六月三日に延期する」旨を掲示し、且つ組合に通告してきたので、闘争委員会は団交を要求したが、右団交で会社は資金繰りつかずとの説明をするばかりで打切りとなつた。そこで原告らはそのまま団交の場所である工場事務所内会議室を去らず、引続き団交を要求し、以来六月四日早朝まで本来の賃金制度改訂についての団交をもち続けた。六月四日参議院選挙があり、投票のため一時団交は中絶したが、同日午後と翌五日にわたつて引続き団交を行つたが妥結しなかつた。

(ニ) 六月十八日組合は「四月十七日会社案」に「一人当り平均月八、一八〇円の最低賃金額の保障」を覚書として加えて会社と妥協し、仮調印をした。

(2)  原告滝川、別所、岩田、堀本、橋本(泰)について。

右原告ら五名は本件争議中、行動部員として組合活動に専心した。

三、ところが被告の本件命令は重大な事実誤認に基いて労働組合法第七条の適用を誤つた違法がある。

(1)  被告委員会は不当労働行為の審査機関であるにかかわらず、会社が組合幹部を嫌い、組合の潰滅を図り、昭和二十五年四月争議が発生するや、団体交渉拒否の態度をとり、組合の切崩し、第二組合員の育成に努め争議妥結後も第二組合との差別待遇を露骨にして別紙第二に詳細記載したとおりの組合圧迫に徹底した事実を認定せず、わずかに会社が組合を嫌つていたことを推認するだけで、しかも会社の掲げる懲戒解雇理由の有無だけを孤立的に判断したため、本件懲戒解雇が原告らの正当な組合活動を理由とする不当労働行為であることを見失つたのである。

(2)  しかも被告委員会は会社の掲げる懲戒解雇理由の有無を判断するに当り、別紙第三記載のとおりの事実を誤認し、原告らに命令書記載のような懲戒解雇に値する不当な行為があるとし、暴力を伴つた違法争議行為全体並びに個々の暴力行為等の責任を問う会社の懲戒解雇は正当であつて不当労働行為でないとするのであつて、(1)の誤認と相俟つて、労働組合法第七条の適用を誤るに至つたものである。

(3)  仮りに原告らに多少の不当な行動があつたとしても、それは度重なる会社の違法な組合対策に憤慨して興奮する組合員大衆を前にし、他にとるべき手段がないため、強硬に団交を求めて争議を一挙に解決しようと焦慮した結果にほかならないのであつて、組合の弱体化を図る目的に出で、かつまた、争議行為に対する報復としてなされた本件懲戒解雇は、たとえ会社にかような不当行為の責任を問う意図があるからとて、不当労働行為たる本質を失うものではない。

また闘争委員中、小高賢治、大原昇、中山正の三名は、争議後組合を脱退して「純正労組刷新会」という第三組合を作つたが、解雇発令の数日前、会社内部から解雇のある旨を告げられ、逸早く任意退職してしまい、また組合員中には原告らの中の行動部員と同一程度又はそれ以上のことをしておりながら、いかなる処分をも受けていない事実がある。このように同一行動をとつた多数者の中から原告らだけを処分し、他を不問に対する等差別待遇をしていることは、仮りに原告らの行動に不当な点があつたにしても、会社の原告らに対する不当労働行為意思を推認するにじゆうぶんである。

以上の理由により被告委員会の本件命令は違法であるから、その取消を求める。

第三、答弁

一、本案前の答弁

(一)  「原告らの訴を却下する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

(二)  (1)不当労働行為の救済申立を棄却した労働委員会の命令に対しては労働者からの行政訴訟はゆるされない。労働組合法第二十七条は、不当労働行為の救済を命じた労働委員会の命令に対する使用者からの行政訴訟をその第四項に明文をもつてこれを認めているが、労働者からの行政訴訟を認めた規定がない。また右法条は、使用者からの行政訴訟について特に出訴期間の制限を規定しているのに、労働者からの行政訴訟についてはその制限がない。

このことは、労働者からの行政訴訟はこれを許さない法意と解するのが適当であり、原告らの本訴は不適法である。

(2) 原告らの本訴には訴の利益がない。原告らは会社から解雇せられたのであつて、被告委員会の命令によつて解雇の効力を生じたものではない。原告らが会社の解雇によつて受けた不利益は、被告委員会の命令によつて、そのまま続くことになつたが、仮りに本訴において勝訴して被告委員会の命令を取消す旨の判決を得ても、右命令の取消判決によつて原告らに対する会社の解雇が当然取消されるものではなく、原告らに何らの利益をも与えない。原告らの目的とするところのものは、原告らが会社を被告として雇用関係の存在を主張する民事訴訟によつてはじめて達せられるものであり、かような民事訴訟を提起するについては被告委員会の命令を取消す必要はない(労働組合法第二十七条第九項)。従つて原告らは本訴につき訴の利益を有しない。

二、本案の答弁

(一)  「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」

との判決を求める。

(二)  原告らが岡山県地方労働委員会にその主張のような救済申立をしてその主張のような救済命令を得たところ、会社及び原告砂場が被告委員会に対し再審査申立をし、これに対し被告委員会は原告らの主張のとおりの命令を発し、右命令は原告ら主張の頃に原告らに到達したことは認める。しかし被告委員会の本件命令は原告らの主張するような違法な処分ではない。原告らには本件命令書記載のとおり懲戒解雇に値する違法争議行為並びに暴力行為があつたのであり、従つて原告らに対する本件懲戒解雇は、原告らの正当な組合活動を理由とするものとは認められないので、原告らの救済申立を棄却したのである。この点についての被告の主張はすべて別紙第一の命令書写の「理由」中に記載のとおりであり、原告ら主張の事実中これと合致する部分は認めるが、その余の事実はすべて否認する。

よつて本件命令を違法として取消を求める原告らの本訴請求は失当であつて棄却されるべきである。

第四、証拠<省略>

理由

第一、本案前の抗弁について

一、不当労働行為の救済申立を棄却した労働委員会の命令に対しては労働者からの行政訴訟は禁じられていない。

裁判所は、憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判する権限を有し(裁判所法第三条第一項)、行政事件訴訟特例法は、国民が行政庁の違法な処分の取消又は変更を求めその他公法上の権利関係に関する救済を求める行政訴訟についての特例規定を設けるに当つて、行政処分の種別による何らの差別や除外を認めない。行政訴訟による国民の権利保護はここにひろく保障されたものと解すべく、いやしくも特定の行政処分につきこの行政訴訟出訴権を奪うには、法律の明文によるが、さもなければ少くとも制度上又は法の解釈上明白な場合に限られねばならない。ところが労働者が労働委員会の違法命令に対して行政訴訟を提起することを禁じた法条は存しない。そればかりでなく、労働組合法第二十七条第十一項は「この条の規定は、労働組合又は労働者が・・・訴を提起することを妨げるものではない」と規定し、ここに単に「訴」といつて、民事訴訟に限定していない点からも、労働組合又は労働者が労働委員会を相手とする行政訴訟が許されるものと解せられる。もつとも労働組合法第二十七条第六項は「使用者は労働委員会の命令につき当該命令の交付の日から三十日以内に行政事件訴訟特例法の定めるところにより訴を提起することができる」と規定しているにかかわらず、労働者からの行政訴訟については右法条に対応する規定を設けていないが、このことから、直ちに労働者の労働委員会の命令に対する行政訴訟出訴権が法律によつて奪われたものと解釈することはできない。けだし労働組合法第二十七条第六項は、使用者の労働委員会の命令に対する行政訴訟出訴権を制度上当然の前提として、ただその出訴期間の短縮を図つた特別規定と解することができるのであつて、労働組合法第二十七条各項の一連の規定が、不当労働行為についての労働委員会の救済命令に対して承服しない使用者に対して、或いは緊急命令により、或いは使用者の行政訴訟出訴期間の短縮等によつて、できる限り速かにその不当労働行為救済の目的を遂げようとすることをその主たる目的としていることが明かであつて、右に述べた不当労働行為救済の実質的な理由から労働者の出訴については行政訴訟一般の出訴期間(行政事件訴訟特例法第五条)によらしめ、使用者の出訴期間のみを短縮したものと解せられるからである。また労働委員会が使用者の不当労働行為から労働者を救済すべきにかかわらず、その救済申立を棄却する旨の違法な命令を発したときに、労働者からのみその行政訴訟出訴権を奪うことはもともといわれがない。以上の理由により、労働組合法第二十七条第六項の規定の解釈上、労働者の行政訴訟はゆるされないと解釈することは正当ではない。従つてこの点についての被告委員会の抗弁は理由がない。

二、原告等の本訴には訴の利益がある。

被告の主張するように、労働者の救済命令が却下されても、労働者は別に民事訴訟によつて救済を求める道もあり、また労働委員会が不当労働行為救済命令を発して労働者を救済したからとて、この行政命令の効力は直ちに使用者の行つた解雇の私法上の効果を取消すことができないこともちろんである。しかし、労働委員会は民事判決におけるよりも広範囲において、労使関係の実情に即し迅速適切な措置による救済命令を出すことができるのであつて、この救済命令が発せられれば、使用者はこれに従う行政上の義務を生じ、この義務は過料の制裁によつて強制せられておる。したがつてこのような救済を受ける利益は、使用者を被告として民事訴訟によつて解雇の効力を争う場合の訴の利益とは別個独自の利益であり、労働委員会が違法に右救済を拒否した場合には、救済命令によつて与えられるべかりし右の利益は不当に侵害せられたものというべく、この場合労働者はこれを回復するため、右の違法な救済拒否命令に対し行政訴訟によつてその取消判決を得れば、その確定判決は少くとも不服を申立てた限度において、関係行政庁を拘束するから、労働委員会は救済申立に対し更に手続を進める義務を負うこととなる。してみれば、原告らは労働委員会の救済拒絶の命令に対し取消判決を求める訴の利益を有すること明かである。

よつて本訴を不適法とする被告の本案前の抗弁はすべて理由がない(なお当裁判所昭和二七年(行)三〇号行政処分取消請求事件判決参照)から、進んで本案につき判断する。

第二、本案の判断

一、経過

原告らはいずれも補助参加人会社の従業員であつたところ、会社は原告ら主張の日に原告らに対し懲戒解雇の意思表示をした。原告らは会社の岡山工場の従業員をもつて組織せられた品川白煉瓦株式会社岡山工場労働組合に所属する組合員であつて、右懲戒解雇を不当労働行為であるとして、岡山県地方労働委員会に救済を申立て、原告ら主張のとおりの救済命令を得たところ、会社及び原告砂場が、被告委員会に再審査を申立て、被告委員会が原告ら主張の日に別紙第一記載のとおりの理由で「原告らに対する初審命令を取消し、原告らの救済申立を棄却する」旨の命令を発し、右棄却命令は原告らの主張の頃に原告らに到達した。

原告らが解雇せられるに至つた経過は次のとおりであつた。組合は昭和二十五年二月上旬会社に対し賃金最低保障を確保するため賃金制度改定に関する団体交渉を申入れ、同月二十三日から四月十七日に至る間九回の団交を重ねたが、結局妥結するに至らず、遂に四月十七日組合大会においてストライキを含む実力行使を決議すると共に、委員長原告片山滝男、副委員長原告島村鹿男、同花家泰二郎、委員原告山崎薫、同浅野伸悟、同藤本二郎、同小橋豊、同橋本真太郎、同鈴木定外四名をもつて闘争委員会を組織し(原告砂場稔は組合専従書記)そして闘争委員会は、組合員中から行動部員なるものを選定し、闘争指令の伝達等の任に当らせることとし(行動部員は後に追加された)、闘争委員会は四月十八日闘争宣言を発し、翌十九日から五月十八日にわたり、職場別、工場別、時には全工場における一定時間の職場放棄を繰返し実施し、五月十九日には会社に対し翌二十日全工場全員二十四時間ストに入る旨を通告したところ、会社は即日無期限の工場閉鎖を発表し、翌二十日からこれを断行し、二十六日には岡山地方裁判所から工場立入禁止の仮処分命令を得、翌二十七日これを執行し、執行吏によつて、各工場正門前には、その公示がなされ、立入禁止せられた部分は繩張りをもつて区画せられた。これに先立つて、組合は五月四日に至つて実力行使後はじめて、争議解決のための団体交渉開催を会社に申入れたが、会社は、組合がスト態勢を解き四月十七日現在の線に立戻つて誠意を示したならば団交に応ずる用意があると回答し、以来交渉に入るに至らず申入と回答を繰返し、この間地元町長らのあつせんもあつたがこれも効なく、組合の申請により五月二十六日岡山地方裁判所から「会社は争議解決につき組合の誠意ある団体交渉の申入れに対し、誠意をもつて団体交渉をしなければならない」との仮処分命令が発せられた結果、同月二十八日団体交渉が開かれたが、会社は組合が四月十七日の会社案を下廻る新提案を提示しなければ団体交渉は無意味であるとの態度に出て、交渉は進展しなかつた。一方四月二十八日頃から第二組合が第一、第二、第三工場別に発足し、五月二日には三工場合体した第二組合が結成され、同月末にはその組合員は百数十名に達した。五月三十一日の賃金支払日になつて会社がにわかに「資金繰りつかず賃金支払を六月三日に延期する」と掲示し、かつ組合に通告してきたことが発端となり、闘争委員らは団体交渉を要求し、後に述べるとおりの険悪な事態をひき起した末、六月十五日争議妥結の基本線が出て、同月十八日組合は「四月十七日の会社案」に一人当り月平均八、一八〇円の最低賃金額の保障を覚書として加えて仮調印となり、翌十八日正式調印を了し、二ケ月に及ぶ争議は漸く解決した。その後一ケ月余を経て七月二十九日原告らは懲戒解雇せられるに至つたのであつて、その解雇理由は別紙第一(命令書写)中表に記載されたとおりである。

以上の事実は当事者間に争ないところである。会社が掲げる右解雇理由は、原告堀本浩の場合を除き、すべて争議中になされた原告らの行為であり、したがつて、本件不当労働行為の成否を判断するには、まず右争議の実情とその正当性およびこれに対する原告らの責任について、検討しなければならない。

二、本件争議の実情

(イ)  四月十八日闘争宣言が発せられてから五月二十日工場閉鎖に至るまでの間に波状的に職場別、工場別時には全工場における一定時間の部分ストが実施されたことは前に説明したとおりであるが、右のスト実施時間中、スト指令を受けた組合員らが第一、第二、第三工場内に留つて、食堂、講堂等に集合して演説などを行い、工場内を示威行進し、また第三工場前広場を使用して三回にわたりけつき大会を開いたことは、当事者間に争がない。成立に争のない乙第一号証の中、成立に争のない第三回調査調書中、橋本真太郎の供述部分、同じく乙第一号証の四の中、成立に争のない第六回審問調書中、加藤繁次郎、川崎一八、小笠原正経の各供述部分、同じく乙第一号証の六、の中、成立に争のない第九回審問調書中、河西源吉の供述部分を綜合すれば、当時会社は組合に対して、職場放棄者は当該時間中、工場外に退去するよう申入れるとともに、職場放棄者が工場内の食堂、講堂等、会社施設を無断使用することを禁ずる旨通告し、また会社所有の第三工場正門前広場の使用を禁止し、かつこの点につき、しばしば組合に警告したが、組合はこれを無視して、右の場所に集合して、演説などを行い、示威行進し、けつき大会を開くなどしたことが認められる。その後ストの通告となり、工場の閉鎖となり、立入禁止の仮処分があり、団体交渉の仮処分のあつたことは前に説明したとおりである。

(ロ)  組合員の坐込みと立入禁止仮処分の侵犯

五月三十一日午前九時頃会社が「資金繰りつかず工賃の支払を六月三日に延期する」旨を掲示し、かつ組合に通告したところ、午後組合員らが前述の立入禁止仮処分で立入禁止区域から除かれた部分、すなわち組合事務所(第三工場内)と工場正門との間の最短距離に繩張りされた通路に坐込んだことは、当事者間に争がない。

成立に争のない乙第一号証の四の中、成立に争のない第六回審問調書中、河本勝一、高橋綾子の各供述部分、同じく乙第一号証の五の中、成立に争のない第七回審問調書中、石原勇、西川康之の各供述部分、同じく乙第一号証の九の中、成立に争のない第十五回審問調書中、久山幹夫、横白芳郎の各供述部分、成立に争のない乙第二号証の六(第三回審問速記録)中、石原勇の供述部分、同じく乙第二号証の八(第五回審問速記録)中、菊島喜久雄の供述部分並びに証人山台輝夫、中山正、延原知美、中山恒彦、木村幸一、砂場己代子、石原勇、菊島喜久雄、安田啓の各証言及び原告本人片山滝男、橋本真太郎、浅野伸悟、砂場稔の各供述を綜合すれば、支払延期の会社発表は既に長期に及んだ闘争、特に工場閉鎖によつて打撃を受けている組合員を痛く刺戟し、殊に従来例のなかつたことでもあつたので、組合員の間に組合員の疲弊に乗ずる会社の嫌がらせであると解して憤激する空気をも生じ、第三工場正門前に集つた多数の組合員らは闘争委員の強硬な交渉を期待し且つ要望していたが、正午頃工場外の闘争本部から団体交渉のため乗込んできた片山闘争委員長以下の闘争委員らを先頭に、これに続いて繩張り通路を通つて組合事務所に集結し、強力な団体交渉をする旨演説する闘争委員を声援し、片山闘争委員長は右声援に応え、交渉委員の一員として「賃金を貰うまでは出て来ぬ。諸君もいてくれ」と呼びかけ、かくて組合員らは引返えして工場事事務所玄関前の繩張り通路内に坐込み、労働歌を高唱するなど、交渉委員に声援を送り、夕刻になるに従い、社宅の主婦たちも多く参加して繩張り内は一杯となり、行動部員や交渉に出ない闘争委員らがその整理に努めた。ところが団体交渉の席上で碪企画課長が「賃金を貰いたければ働きに来ればよい」と発言したとのことが闘争委員によつて報告されるや、会社が工場閉鎖をしておきながらこのようなことをいうのは暴言であると、坐込み組合員の情を強く刺戟し、交渉に加わらなかつた闘争委員の原告浅野伸悟が真相を確かめに事務所内に立入ろうとしたところ、石原警務長が自分が探してくるから入らないようにと同人の立入るのを止めて自ら探したが見つからず、同じことを二度繰り返したが遂に見つからなかつたので、原告浅野が容赦なく玄関内に立入ろうとするのを石原が制止しているうち、組合員ら数十名が立入禁止線を突破して殺到して石原を取囲み、ワツショ、ワツショと同人をもんだり蹴つたり、玄関前の旧防空壕の鉄筋コンクリート壁に数回にわたつて強く打ちつけるなどの暴行を加えたため石原は玄関先に昏倒し、事務所内に担ぎ込まれ、医師の手当を受けるに至つた。夜に入るとともに立入禁止区域を表示する繩張りはいつともなく拡げられ、繩は所々で断ち切られ、杭は位置を変え、組合員らは立入禁止区域内に出てくるようになり、立入禁止仮処分の表示はその実を失うようになつた。以上の事実が認められる。なお坐込み組合員や主婦らが或いは事務所を取囲み、或いは事務所内に侵入して立入禁止仮処分が全く有名無実となつたことは後に認定するとおりである。

(ハ)  会社職員の事務所内監禁

五月三十一日午後組合員らが繩張り内に坐込んだ後、正門前広場には応援団体、社宅主婦らが続々と集つてきて、同日夕刻にはその数千人を超え、翌日からは最高五千人にも達したこともあり、その間人数は増減しながら六月三日夕刻まで集団を解かず絶えず気勢をあげていたことは、当事者間に争がない。

成立に争のない乙第一号証の四の中、成立に争のない第五回審問調書中、田口勝治、碪常和、安田啓の各供述部分、同じく乙第一号証の三の中成立に争のない第四回審問調書中、山台輝夫の供述部分、成立に争のない乙第二号証の九(第六回審問速記録)中、河西源吉の供述部分並びに証人河西源吉、山台輝夫、中山正、中山恒彦、小野智也、宮下大治、碪常和、正宗道夫の各証言及び原告本人片山滝男、鈴木定の各供述を綜合すれば、これよりさき五月一日メーデーを契機として、岡山県和気郡労働組合協議会(郡労協)傘下の各単産、岡山県窯業労働組合連合会及びその他の友宣団体から選ばれた委員をもつて共闘争委員会が結成され、郡労働協議長、共産党員宮下大治が委員長となり、会社に対して共闘宣言を発し、同月下旬には県下の急進派である戦線統一準備会加盟諸団体も参加するに及んで急進化し、同月二十八日頃の委員会では「工場坐込み、第二組合員の組合復帰工作、事務長社宅に坐込んでの団体交渉要求」などの強硬意見が出たが、決議に至らぬままに推移して三十一日を迎えた。共闘委員会と組合とは互いに指令権はなく、組合は委員会に闘争委員中の代表者を列席させ(片山闘争委員長は争議の指導に専念するため出席せず)て情報を提供し、委員会から諸般の援助を受け、かつ委員会の意見を尊重する関係にあつた。三十一日会社の賃金支払延期の通告を受けたとき、組合首脳は片上町内の窯連事務所内の闘争本部にあつて、即時団体交渉開始の応急方策を立てたまま、第三工場正門前に集つた組合員の「闘争委員らは、何をしている」という声に促され、共闘委員会の会議開催をまつ余裕もなく第三工場に赴き、共闘委員会は午後二時頃集合して争議の応援方策を決定し、応援団体を動員して第三工場前に集結させ、次第に集つてくる集団の威力によつて、工場事務所内の団体交渉を声援すると共に、第二組合の破壊を目的として正門前で第二組合書記長中山恒彦に対し第二組合結成の理由について釈明を求め、遂次第二組合員を組合員に連れ出させては集団の威力により第二組合脱退、組合復帰を強要した。同夜十一時半頃から課長がスクラムに囲まれて正門前に連れ出され、群集を前に後からかかえるなどして無理やりに何回も台上に立たさせられ、共闘委員長、共産党員宮下大治、同じく共産党員小野智也らから前記の「暴言」についての釈明と大衆への挨拶を強要され、群集の罵声の中で台上に直立の姿勢のまま赤旗で頭を撫でるなどされ応援団体員戯作の「狸勅諭」(「きぬた」の姓を逆に読むと「たぬき」となる)という挨拶状を読まされるなど、折からの降雨にもかかわらずほとんど立ちずめでてわずかに数回坐ることを得ただけで翌六月一日午前四時頃に及んだほか、社宅係の正宗道夫は第二組合結成に尽力し、社宅において組合員家族を圧追したという理由で、六月一日早朝正門前に連れ出され、宮下、小野の外、朝鮮人らによつて台上に立たせられ、右手を後にねじ上げ、赤旗の竿で腹を押し、肩を突き、雨に傘をさそうとすると赤旗で叩き落し、傘に身体を支えようとすると傘を払うなどの暴行を受け、「第二組合結成を謝罪して組合に復帰せよ」と強要されて前後三時間に及んだ。六月一日午前九時頃には後に述べるように、工場事務所内にいた第二組合員二、三十名が暴力をもつて一挙に連出され組合復帰を強制され代表者が復帰の挨拶をしたほか、引続き第二組合員は各所からかきさらつて連出されては、復帰を強制された。このようにして約五千名に達した応援団体は同日大会を開いて「工場閉鎖即時撤回、組合案による賃金制度の承認などを決議して河西事務長にこれを伝え、翌二日の夜には六月四日の参議院議員選挙を前にして労農党黒田寿男の争議激励演説が行われるなどして、その集団威力を発揮していた。そうしてこれら一切の状況は、正門附近に設置せれたマイクによつて放送されていた関係上、工場内にいた会社職員や第二組合員を畏怖させていた。以上の事実が認められる。

ところで三十一日午後一時頃片山闘争委員長と闘争委員ら計六名が、交渉委員となつて、白鉢巻をして組合員の激励下に組合事務所から工場事務所に入り、事務長河西源吉(工場長は出張不在中であつた)に団体交渉を要求したが、突然の要求であつたため会社側が仮処分侵犯をとなえたので押問答の末、一旦引揚げ、改めて賃金支払に関する団体交渉の開催を書面で申入れ、午後三時から四時までの約で工場事務所内会議室で団体交渉が開かれ、その席上会社から賃金支払延期の事情が説明されたこと、四時団体交渉終了後も闘争委員長はじめ闘争委員及び砂場専従書記は団体交渉場である会議室にそのまま居残り、爾来六月四日早朝まで引続き同所を行動の本拠として占拠したことは、当事者間に争がない。

右占拠は、団交終了後、会社が浅岡労務主任を通じて退去を要求したにかかわらず、これに応ぜずしてなされたものであることは、原告本人片山滝男、橋本真太郎の各供述によつて認められる。これらの供述のほか証人中山正の証言並びに原告本人藤本二郎、砂場稔の各供述によれば、賃金の即日支払を求めて強硬な団交を要求し、交渉委員を激励している坐込み組合員らに対する斗争委員らの立場としては、支払を受けない限り、遅払の説明や六月三日支払の口約束だけではとうていこれら組合員を納得させることはできないし、さればとてもはや遅払賃金を問題にしたのでは交渉のしようもないため、対策として、会社の約束する六月三日現実の支払があるまで団体交渉をもみ続けるため争議本来の賃金制度改定問題を取上げる方針を決定し、従来の交渉経過に照らして交渉の困難を予想されるにかかわらず、これを強行するため、会社の退去要求をけつてそのまま会議室に居坐り後に述べるように団体交渉の強要が継続進展するに伴い、そのまま六月四日早朝に至るまで同室を占拠したことを認めることができる。

成立に争いのない乙第一号証の四の中、成立に争のない第五回審問調書中、安田啓の供述部分、同じく乙第一号証の五の中、成立に争のない第七回審問調書中、長尾光臣の供述部分、同号証中成立に争のない第八回審問調書中、河田源吉の供述部分、同じく乙第一号証の六の中、成立に争のない第九回審問調書中、同人の供述部分、成立に争のない乙第二号証の五(第二回審問速記録)の中、安田啓の供述部分、同じく乙第二号証の四(第一回審問速記録)中、莊司晃の供述部分、同じく乙第二号証の六(第三回審問速記録)中、石原勇の供述部分、同じく乙第二号証の八(第五回審問速記録)中、菊島喜久雄の供述部分、同じく乙第二号証の九(第六回審問速記録)中、河西源吉の供述部分並びに証人河西源吉、莊司晃、中山正、安田啓、山台輝夫の各証言及び原告本人片山滝男、橋本真太郎、砂場稔の各供述を綜合すれば、前述のように賃金遅払に関する団体交渉が午後四時に打切られた後、そのまま団体交渉場を占拠した片山闘争委員長以下各闘争委員、砂場専従書記らは、午後七時頃工場事務所内の河西事務長をその席に取巻き、争議目的である賃金制度改定について直ちに団体交渉を開けと要求し、河西事務長が「このような状態では団体交渉はできない」として当初から「もう口を利かぬ」といい切り、腕を組んで沈黙に入り、交渉拒否の態度に出たため、闘争委員らは次第に憤激して躍起となり、「おしかつんぼか」「それでも人間か」「血も涙もないのか」など語気荒く団体交渉を迫つた。一方、正門前の応援団体は交渉の進展しないため斗争委員の中間報告を要求して騷然となり、坐込み組合員もまた結果いかんと撤宵の態勢にあるため、漸く苦境に立つた闘争委員らは、いらだち怒つて盛んに暴言を浴せ、約四時間にわたつて退去せず、午後十一時頃片上町長があつせんに来たため一時中断したが、町長があつせんのとうてい不可能なのを知つて手を引いて引上げてしまうや、河西事務長は便所に立つた機会に宿直室に逃避して巧みに隠れたが、この頃には工場事務所は組合員によつて包囲され、会議室の外ではたき火がたかれ、闘争委員や行動部員らの捜索が急であるうえ、マイクで門外における碪課長の吊上げの状況を報じ、あるいは「事務長が見えなくなつた」と放送されるのを聞き、居たたまらずして午前三時頃再び事務室にもどるや、血眼で探した闘争委員らは激昂し、片山闘争委員長らは卓を叩いて「団交を開いて組合案を呑め」と猛り立つた。すなわち、闘争委員らは応援団体の応援行動を共闘委員会の共闘の本旨に従つて受容れ、その応援の下に団体交渉を進め、一挙に争議の目的を遂げようとしたのであつて、応援活動が団体交渉の声援に止まらず、前認定のように会社職員や第二組合員に対し雨中長時間にわたり暴行を交えて集団暴力行為が続けられている環境下にあり、一方坐込み組合員らも前述のように石原警務長に対する暴力行為を契機に暴力化しつつ盛んに立入禁止仮処分を侵してその集団圧力を加えつつあることを十分に知りながら、多人数をもつて事務長一人を取囲み、休息も睡眠も与えずして暴言を浴せ続け、集団の威力をもつて身体の自由と安全をおびやかしたため、河西事務長は工場内外における夜間の多衆行動によつていかなる突発事態が起るかも知れぬという恐怖と、課長を吊上げから救うために、払曉を待つて団体交渉をすることによつて事態を切抜ける外ないと考えるに至り、午前四時になつて午前五時から町長立会のうえ再び団体することを承諾した。

以上の事実が認められる。

こうして六月一日午前五時町長ら立会の団体交渉が開かれたが以後同月三日深更に至るまでの間、会社側幹部職員と闘争委員らとは、工場事務所内で晝夜の別なく賃金制度改定に関し団体交渉を繰り返したことは、当事者間に争がない。成立に争のない乙第一号証の二の中、成立に争のない第八回審問調書中、小橋豊の供述部分、同じく乙第一号証の十の中、成立に争のない第二十回審問調書中、浅野伸悟の供述部分、同じく乙第一号証の三の中、成立に争のない第四回審問調書中、山台輝夫、浅岡善一の各供述部分、同じく乙第一号証の四の中、成立に争のない第六回審問調書中、砂場己代子の供述部分、成立に争のない乙第二号証の四(第一回審問速記録)中、莊司晃の供述部分、同じく乙第二号証の八(第五回審問速記録)中、菊島喜久雄の供述部分、同じく乙第二号証の九(第六回審問速記録)中、片山滝男の供述部分、並びに証人莊司晃、山台輝夫、赤津勉、木村幸一、中山正、河西源吉、菊島喜久雄、砂場己代子の各証言及び原告本人片山滝男、橋本真太郎、浅野伸悟、小橋豊、砂場稔の各供述を綜合すれば、当時工場長は本社に出張不在中であつて、河西事務長としては、それ以上の条件で交渉する権限を委せられておらず、すでに交渉の限界に達しているにかかわらず組合側はしつように要求の承認を求めていたのであつたが、こういう事情で、それ以上の進展はとうてい望めない状態であつたため、六月二日夜工場長帰来の報は、工場長が本社から何らの解決案をもたらしたのではないかとの期待を切実ならしめた関係上、闘争委員らは、団体交渉は明日としても、とにかく即刻工場長から解決案を聞きうることを待望し、直ちに工場に出て来てほしいと要望した結果、会社側、組合側、地元関係者が役宅に工場長を迎えに行くこととなつたので、闘争委員らは「拍手をもつて工場長を迎える」ことを決議して、このことをマイクをもつて発表したところ、応援団体がこの方針を攻撃し、また行動部員もこのような迎え方に深い不満の意を表したので、再評議の結果、拍手はしないが静粛に迎えて爾後の団体交渉の転機とすることに決定し、立入禁止線を整備し玄関前を掃除などして工場長を待つた。折から正門前では労農党黒田寿男の争議激励演説が行われ、それが終ると午後十一時半頃工場長は入門した。片山闘争委員長は闘争委員の列から進み出て工場長に向い「工場長、この有様を見てやつて下さい。」と坐込み組合員、主婦らの心情を訴える趣旨の発言をしたとき、工場長が「見た、見た、」といつたまま事務所に入ろうとした態度を冷淡と見た行動部員ら十数名は、やにわに飛び出して工場長を取囲み「この場で団交をしてくれ」と叫ぶ者もあり、坐込み組合員や主婦たちの中からも飛び出して来る者もあつて、工場長をその場に取囲んだ。片山闘争委員長、浅野闘争委員らはこれをたしなめながら、これら行動部員等ともみ合い、工場長は事務所内にかけ込み特別室に入つて鍵をかけた。応援団体の県窯連書記長山台輝夫は工場長入門に先立ち闘争委員らに対し、工場長が河西事務長から報告を受けて「偏見を懐かぬ前に、玄関先きで野外団交すべきだ」と意見を主張していたやさきであつたので、「闘争委員は早く入つて交渉せよ」と要求し、行動部員、組合員、主婦らも闘争委員らを腰抜け呼ばわりして罵倒し工場長を追い事務所内に入ろうとする有様に、闘争委員浅野伸悟は大手をひろげてこれを阻止した。闘争委員らは占拠中の特別室に引上げて統制の困難に苦しむうち、異常心理に陥つた主婦たちは、「止めるなら殺せ」など叫び、廊下につめかけて闘争委員を非難し、団体交渉せよと要求し、遂に行動部員を統制する行動部長原告山崎薫(闘争委員)、統制部長原告鈴木定(闘争委員)及び闘争委員原告橋本真太郎、専従書記原告砂場稔らが、特別室窓際の廊下から窓越しに室内の工場長らに向い、工場閉鎖即時撤回等数項目にわたる要求書を朗読し、「組合案を呑め、黙つていれば承認したものと認める。」「大衆諸君どうだ。」などといいながら、事務室内外に特別室附近におしかけていた組合員らの「異議なし」などと呼応する中に「工場長、即時調印して下さい」と迫つたが、会社側は沈黙してこれに応答せず、前記山台輝夫は窓を越えて室内に入り、工場長を守つてスクラムを組む会社側職員を前に工場長に調印を要求したが、会社側は終始沈黙した。次いで主婦たちが相次いで廊下に立入り特別室の窓越しに、「雨露に打たれて待つていた。組合案を呑んで下さい。」などと哀訴して翌三日午前三時過ぎに及んだ。三日の晝頃になつて労働基準監督署員が状況視察に来場して特別室内の会社側と面会しようとしたところ、片山闘争委員長以下闘争委員らは署員の後から続いて室内に入り込み、床上に坐込んで、団体交渉を要求するとともに、外部の坐込み組合員に交渉の状況を知らせるためマイクを使用するよう要求したが、会社側はマイク使用を拒否した上で団体交渉に入り、交渉は同日夜半に及んだ。以上の事実が認められる。

右に述べた六月一日朝以後約三晝夜にわたる団体交渉は次に認定するとおりの監禁状態の下に行われたものである。成立に争のない乙第一号証の五の中、成立に争のない第七回審問調書中、石原勇の供述部分、同号証中成立に争のない第八回審問調書中、河西源吉の供述部分、同じく乙第一号証の四の中、成立に争のない第五回審問調書中、安田啓の供述部分、同じく乙第一号証の七の中、成立に争のない第十一回審問調書中、横山豊太郎の供述部分同号証中成立に争のない第十二回審問調書中、山本竹野の供述部分、同じく乙第一号証の八の中、成立に争のない第十三回審問調書中、馬場比佐江の供述部分、成立に争のない乙第二号証の六(第三回審問速記録)中、石原勇の供述部分、同じく乙第二号証の九(第六回審問速記録)中、片山滝男の供述部分並びに証人河西源吉、莊司晃、菊島喜久雄、安田啓、石原勇、赤津勉の各証言を綜合すれば、六月一日朝の団体交渉の後、河西事務長らが工場事務所から社宅へ帰るため退出しようとすると、玄関前の坐込み組合員、主婦らが一齊に立上り迫つて来る気配を示したため、退出の不可能を悟り、同夜は前夜の状況に鑑み鍵のかかる特別室に難を避け、帰宅できない幹部職員以下婦女子ら合計二十三名が集結したが、組合員らは事務所全体を取囲み、見張りのため右特別室の窓際地上にかますを敷き並べて坐込み、腰板を叩き、窓硝子の破れ目から室内をのぞき込み、仮睡の模様や一挙手一投足をやゆするなどし、更に翌二日も監視を続け、夜も室外にスクラムを組み、或いは窓際のかますに坐り込み、夜半工場長が入室してからも闘争委員原告橋本真太郎は「一人も出してはいかんぞ」と指図し、見張りの組合員らは「社宅に火をつけるぞ、社宅の方が燃えているではないか。」などいい、家族と遮断された室内の者を不安に陥れなどし、室内に閉ぢ込められた者は、夜間に便所に行くことも恐怖のためできなくなつたため、室内にブリキかん、灰入り火鉢(ブリキかんに音がするのを見張員がやゆして笑うので)などを持込んで用を足す有様となつた。食事も五月三十一日夕食はとることができず、六月一日朝辛じてにぎりめしを食べ、昼と夜との間にまたにぎりめしを食べたままで、二日三日も同じように握りめしを不規則に食べるだけであり、わずかに工場長が帰場した翌朝(三日朝)一度食堂に出たきりであつた。しかも炊事婦がにぎりめしを板に載せ廊下から窓越しに特別室に差入れようとするのを、組合員が傍から引倒したこともあつた。睡眠も五月三十一日の夜は前認定のとおりの状況で全然眠ることができず、六月一日夜特別室に入つてからは右に述べたような監視ややゆにさらされ、しかも横臥して眠ることができず、いすに腰をかけてまどろむだけで夜が明け、二日夜も同様の有様であつて、三日になると昼も夜もなく、団体交渉に出た者は半ば眠りながらするようになり、仮睡する外は睡眠をとることができなかつた。湯地労務課長は発熱し食事をとることができない状態に陥つた。また六月三日朝、電話交換手は行動部員赤津勉によつて勤務に就くことを阻止せられたため、会社は電話の使用不能となり、行動部員らは他の女子従業員をもつてこれに充て、組合員数名とともに交換台を占拠し、会社は組合と話合わなければ電話を使用することができず、同日午後菊島課長が銀行に賃金にあてる金を取りに行くについても、片山闘争委員長に依頼して銀行と連絡できた。以上のような監禁の状態は六月三日夜賃金を受取つた坐込み組合員や主婦が引揚げ、応援団体が解散し、四日の参議院議員選挙のため労使停戦となつて、四日午前三時頃河西事務長は塀を越えて脱出し、他の会社側職員も工場を退出するまで続いた。以上の事実が認められる。

(ニ)  行動部員の第二組合員連出し

成立に争のない乙第一号証の四の中、成立に争のない第五回審問調書中、安田啓の供述部分、同じく乙第一号証の七の中、成立に争のない第十一回審問調書中、山下五三、横山豊太郎の各供述部分、同じく第一号証の九の中、成立に争のない第十七回審問調書中、井口武松、河本勝一の各供述部分、成立に争のない乙第二号証の六(第三回審問速記録)中、安田啓の供述部分、同じく乙第二号証の七(第四回審問速記録)中、中山恒彦の位述部分、同じく乙第二号証の八(第五回審問速記録)中、菊島喜久雄の供述部分並びに証人吉田清治、中山恒彦、安田啓、菊島喜久雄、正宗道夫、石原勇の各証言を綜合すれば、行動部員らによつて正門前に連出された碪課長や第二組合員が次々に「釈明」や「挨拶」を強要される状況は「包囲して逃がすな、出すな」のマイク放送が繰返えされる中にあつて、遂いマイクによつて放送されてゆき、六月一日早朝には企画室内に集つていた第二組合員ら二、三十名を深い恐怖に陥らせていたが、午前五時頃県窯連常任書記逸見政雄が田中第二組合長を探し求めて組合復帰を説得に来、「事態切迫し生命の保証もできぬ。六時までに決定せよ。」とおどし、七時頃になると、原告滝川明雄、同別所信夫らの行動部員ら十数名が侵入して「同じ労働者ではないか、同一行動をとれ。表へ出ろ。出ないと引ずり出す。」など口々に叫び、七時半頃、逸見と共に行動部員赤津勉外十数名の組合員、応援団体員らが加わつて、「雨に打たれた坐込みの女子供に万一のことがあつたらどうする。ぐずぐずせず早く出ろ。引ずり出すぞ。」など口々に叫んで、組合への全員復帰、正門内外の組合員及び大衆に対し組合復帰の挨拶をせよと要求した。午前九時近くなると、田中組合長が「協議するから待て」というのを、逸見、赤津らは「事ここに到つてもはや協議の必要はない。第一、第二工場の第二組合員はトラツクで正門前に運んでいるから、ここに協議に来たりはしない。」といい、九時まであと十分間待つと室外に退去したので、組合長以下第二組合員は残務整理のため三役を除き全員復帰も止むを得ずと決めたが、逸見、赤津らの外、応援団体員、行動部員らが再び侵入して来て、「まだいうことを聞かんか。血祭りに上げるぞ」など強迫する者もあり、赤津らは「あと三分」「あと二分」と時間を切りはじめ、滝川らは足踏みをはじめ、そこに原告岩田輝行動部員が侵入して来て「何をしている。まだ引ずり出さんのか」と催促し、「あと一分」となるや、行動部員、組合員らはスクラムを組み足踏みを強くしたため、第二組合員は顏色を失い、床上にへばりつき、相互に離れまいと腕をとり合い、前の者のバンドをつかむなどして必死となる中を、行動部員原告橋本泰之は赤旗を先頭に二十数名の外部団体員、組合員らと共に乱入し、「一人づつ放り出せ」などの掛声と共に、第二組合員一名は何者かによつて背中を蹴られ、引ずられるなどの暴行が行われ、他の第二組合員は首に手をかけられ仰向けに転び、「この薄のろ、立て」など暴言を浴せられる等の状況を見て、田中組合長は「暴力は止めろ」と叫び、身に危険を感じた第二組合員らは男泣きしながら赤旗で追立てられるように正門前に連出された。また同日早朝行動部員原告岩田輝は他の行動部員らと共に二回にわたつて社宅係、第二組合員正宗道夫宅に赴き、第二組合の役員が呼んでいるとか、主婦たちが呼んでいるから来いとかいつて、遂に同人を正門前に連出して応援団体に引渡し、前認定のように雨中三時間にわたり共産党員や朝鮮人らの暴行を交えた集団暴力行為をほしいままにさせた。同日午後にも第二組合員を探し出しては組合復帰を強要することが続けられ、午後五時半頃、行動部員原告滝川明夫は組合員数名と共に社宅事務所で第二組合員である社宅係の井口武松に組合復帰届を示してこれに署名させた上、午後七時頃電話で「復帰届を大衆に諮るから」と正門前に呼出し、応援団体に引渡した。

以上の事実が認められる。

(ホ)  坐込み組合員の菊島経理課長に対する暴行

六月三日午後菊島経理課長が当日支払う約束の賃金のための現金を片上町内の取引銀行から麻袋に納めて持帰つた際、警官が同行して来たところから、「犬に護衛されて来た。あんな金を受取るな。あいつを入れるな。」など叫んで、坐込み組合員数十名が同課長を包囲したことは、当事者間に争がない。成立に争のない乙第一号証の九の中、成立に争のない第十八回審問調書中、菊島喜久雄の供述部分、成立に争のない乙第二号証の一の中、証人莊司晃の証言及び弁論の全趣旨によつて成立を認めるべき再甲第二十一の三号証の(イ)、同じく乙第二号証の八の中、成立に争のない第五回審問速記録中、菊島喜久雄の供述部分並びに証人菊島喜久雄の証言を綜合すれば、包囲された菊島課長はワツショ、ワツショという押合の中で身体の自由を奪われつつ、持つた現金入り麻袋を引張られるのを辛じて守りぬいた。行動部員の原告岩田輝が菊島らの姿を認めるや「あれを入れるな」と呼んだ。その声に坐込み組合員が喊声を上げて菊島らを取囲んだことが認められる。

(ヘ)  深夜団交

六月四日夜会議室で団体交渉が開かれたが、会社側が中途で打切つて特別室に引揚げたところ、闘争委員らはあとを追つて同室に入込み、床上に坐込んで団体交渉の継続を要求し、翌五日午前一時から深夜約一時間半にわたる団体交渉が行われたことは、当事者間に争がない。証人河西源吉、莊司晃の証言並びに原告本人橋本真太郎、砂場稔の各供述を綜合すれば、はじめの団体交渉中、闘争委員原告橋本真太郎が団体交渉場である会議室の窓の錠をしめたことから、それを見た河西事務長が「監禁する気か。打切る。」といい、同じく不安を感じた会社側交渉委員は一齊に席を立つて、特別室に帰つてしまつたので、組合側は納得せず、あとを追つて特別室内に入り込み引続き団体交渉を要求したこと、当時双方ともに既に疲労の極に達し、正常冷静な精神状態になかつたことが認められる。

三、本件争議の違法性と責任

以上説明したように、本件争議中、組合は会社が工場の秩序維持のため、しばしば組合に対してなした正当な申入に全く耳をかさず裁判所の仮処分命令をもふみにじつて、立入禁止区域殊に建物内まで多衆で壇に侵入横行し、或は坐り込みを行い、或は、事務室を包囲し、或は四日間に亘つて建物の一室を占拠し、交換台を占拠し、限度を超えた団体交渉を強要して組合の要求の承認をしつように迫り、また会社幹部を畏怖のため、五月三十一日から六月三日夜半まで、事務所に留まらざるを得ない状態に陥れ、その間会社の幹部その他に対して多くの暴行脅迫を敢て加え、また応援団体や行動隊員の或者は、暴力をもつて第二組合員の復帰の強要や課長のいわゆる吊上を行い、又はそれに加担しているのである。

およそ暴力を伴う団体行動が正当な組合活動といえないことはもちろんであり(労組第一条第二項但書)右に述べたような幾多の不法行為を伴う争議行為は全体として正当な組合活動の範囲を著しく超えていることは明白であつて、このような違法な争議を行い、指導し、或はこれを防止する責任あるにかかわらず放置してなすがままに委せた者は、このような違法な争議行為に対して責任を負わねばならないことも、また当然である。そこで原告らの責任について検討しよう。

A  闘争委員の責任

およそ闘争委員は、自ら違法な争議行為を決議ないし執行、指揮したような場合に、違法争議行為につき責任のあることは明かであつて、しかも闘争委員は特別の事情のない限り、そのような争議行為を企画、遂行又は指揮したものと推定しなければならない。もつとも本件争議行為に附随して起つた暴力行為のなかには、突発的に起つたと認められるものもないではなく、また時にこれを防止しようとした形跡の認められること前に認定したとおりであつて、暴力行為の全部を闘争委員の責任に帰せしめることはできないが、争議全体を通じてみて、前に述べたように本件争議の性格は著しく、暴力的であり、違法であつたことは否定できないのであつて、闘争委員は反証のない限り、このような違法な争議を企画、遂行又は指揮したものとしてその責任を免れない。

原告らは組合員が坐込みや立入禁止区域を超えたことにつき、会社の賃金支払延期に対する組合員の憤激から、自然発生的に行われたものであつて、闘争委員の計画指導したものでないと主張する。右の坐り込み及び立入禁止線を越えた直接の契機が賃金遅払の発表による組合員の憤りに存じたこと、したがつて、これについて会社に責任のあることは認めるに難くはないが、前に認定した事情によれば、中央労働委員会の認定するように、実は坐込み組合員の集団示威力を利用して、その賃金問題の団体交渉を有利に進展させようとして、むしろ攻撃的になされたものであることを認めることができるから、これをもつて、組合員の坐込みや立入禁止区域を超えたことにつき、闘争委員は貴任を免れることはできない。

次に碪課長、正宗社宅係及び第二組合員が行動隊によつて第三工場正門前に連れ出され、応援団体によつて、集団暴力行為或は第一組合復帰の強要が行われたことにつき、闘争委員の責任を考えなければならない。およそ闘争委員は、当初の意図を超えて、違法な争議行為がなされた場合でも、違法な争議行為の行われることを知り得た以上は、職責として、その防止に努力すべき義務を負うものというべく、これをことさらに放置して行わせた場合はもとより、防止し得たに拘らず、防止のためにじゆうぶんの努力をしなかつた場合にも、同様責任を負うものと解するのが相当である。まして違法な争議行為を行つた者が、その統制下にある組合員であり、又は自ら応援を依頼した他の団体員である場合には尚更である。これを本件についてみるに、既に早くより共闘委員会が結成されて、会社に対し共闘宣言が発せられ、組合はこれに代表者を列席させ、またいろいろの援助を受けてきたことは、前に認定したとおりであるから組合としては共闘の本旨に則りその応援を受入れ、その集団威力を利用したことは明かであり当時第二組合員を第一組合に復帰させることは組合のとつていた方針であつたばかりでなく、行動部員については、行動部長、統制部長が定められ、いずれも闘争委員をもつてこれに充て、その行動を統制していたことは前に認定したとおりであり、また碪課長、正宗社宅係に対するいわゆる吊上や、第二組合員に対する復帰挨拶を強要していた当時の状況は、マイクによつて放送されており、同じ工場内で長時間に亘りこのような集団的暴行が行われたのであるから、闘争委員はこれらの状況を察知していたものと認めざるを得ない。しかも、闘争委員はこれらの暴力行為を阻止する手段を講じた何等の形跡も認められず、その為すがままに放任していたのであるから、その統制下にある行動隊員や、自ら応援を依頼した応援隊員のなした行為に対して責任を免れない。

以上述べたように、原告らの中、闘争委員長片山滝男、副闘争委員長島村鹿男、花家泰二郎、闘争委員山崎薫、浅野伸悟、藤本二郎、小橋豊、橋本真太郎、鈴木定の九名は、闘争委員として、違法な争議行為を企画、指揮または指導し、組合員や応援団体の集団暴力行為を防止する義務を怠り、自らも第三工場合議室を占拠し、河西事務長らを長時間にわたつて吊上げ、正当な団体交渉とは、かけ離れた暴力行為を敢てしているのであるから、右のような争議全体の責任のほか、直接暴力行為者として個々の責任をも免れることはできない。すでにこのような重大な違法行為のある以上、就業規則に照し、経営体の秩序を乱した者として、懲戒解雇の処分を受けることもやむを得ないものといわなければならない。

B  原告砂場稔(専従書記)の責任

原告砂場が本件争議当時組合の専従書記であつたことは当事者間に争がない。そして同原告が本件争議を通じて組合幹部と団体交渉において終始行動を共にしていたことは、その職責上当然推認すべく、五月三十一日団体交渉終了後、立入禁止の仮処分を犯して、六月四日朝まで会社の退去要求にもかかわらず、執行委員と共に会議室を占拠していたことは、前に認定したとおりであつて、終始闘争委員と形影相伴つて、河西事務長らに対する右の団体交渉の要求、及びその後の各団体交渉の場(六月三日を除く)に同坐していたことは、砂場本人の供述並びに右供述により成立を認められる甲第二号証によつて明かである。しかも証人中山正の証言によれば、砂場は闘争委員たる他の原告らに比して組合役員としての経歴も古く、終始闘争委員会にも同席しており、意見を述べたことのあることも認められるのである。したがつて前に闘争委員の責任について述べた事項中、闘争委員として組合員及び応援団体の集団暴力行為を防止すべき職責上の義務違反に関する点はしばらく措くとしても、少くとも組合員の集団暴力行為、違法な団体交渉の強行、及び組合員及び同原告の仮処分侵犯等の違法行為に関しては、闘争委員と同一の責任を負うべきものである。これらの重大な違法行為に対しては就業規則に基き、経営体の秩序を紊乱したものとして、懲戒処分を受けることもやむを得ない。

C  行動部員の責任

原告滝川明雄、別所信夫、岩田輝、橋本泰之の四名が本件争議中に行動部員であつたこと、行動部員が闘争委員会の指令を組合員に伝達し、或いは情勢を闘争委員会に報告する等の任務を有し、闘争委員中の行動部長及び統制部長の指揮下にあつたことは、当事者間に争がない。そこで次に会社の挙示する懲戒解雇理由について行動部員の責任について考えよう。

(一) 原告滝川明雄

(1) 工場事務所企画室内の第二組合員を強迫して、工場前広場に連出し、応援団体の集団暴力行為に協力した。右の実情は前掲二の(二)に認定のとおりである。

(2) 社宅係井口武松の呼出し応援団体の集団暴力行為に対し協力した。右の実情は前掲二の(二)に認定のとおりである。

(3) かますの無断持出し、成立に争のない乙第一号証の六の中、成立に争のない第十回審問調書中、土井浅治の供述部分によれば、原告滝川は六月一日昼頃第三工場叺倉庫内から公社所有のかます若干枚を無断で持出したことが認められる。

(二) 原告別所信夫

(1) 企画室内の第二組合員を強迫して工場前広場に連出し、応援団体の集団暴力行為に協力した。右の実情は前掲二の(二)に認定のとおりである。

(2) 炊事室における強迫行為。成立に争のない乙第二号証の一の中、証人莊司晃、中山正の証言及び別所信夫本人の供述によつてその成立を認められる再甲第二十六号証によれば、六月一日午前十一時頃原告別所は、他の二名と共に工場事務所内炊事室に立入り、前夜半帰宅することができないでいた第二組合所属の女子従業員小幡悦子ら三名に対し、組合復帰を要求し、「帰りますとはつきり言え」とつめより、「よく考えておけ」といい残した。当時企画室内の第二組合員が組合復帰を強要されて連出された直後でもあつたので、小幡らは、そのため自分らも応援団体の前に連出されることを恐れ以後宿直室の押入れ中に身をかくすに至らせたことが認められる。

(3) かますの無断持出し。証人吉田清治の証言によれば、五月三十一日午後四時頃原告別所がかます倉庫から会社所有のかます数枚を無断持出し坐込み組合員に使用させたことが認められる。

(三) 原告岩田輝

(1) 社宅係正宗道夫その他第二組合員の連出し。右の事実は前掲二の(二)に認定のとおりである。

(2) 特別室前のスクラム指揮。成立に争のない乙第一号証の七の中、第十一回審問調書中、山本健一の供述部分及び成立に争のない乙第二号証の一の中、証人莊司晃の証言及び弁論の全趣旨によつて成立を認められる再甲第二十一の二号証の(イ)(ロ)によれば、六月二日夜工場長が帰場して特別室に入つた後組合員が同室外側前にスクラムを組むや原告岩田は「警官が入り込んで来ても又中の者が出ようとしてもしつかり組んでおれ。」「そういう場合は絶対にスクラムを解いてはいかん」など指揮したことが認められる。

(3) 菊島経理課長に対する暴行、指揮。右は前掲二の(ホ)に認定のとおりである。

(四) 原告橋本泰之

(1) 警務室屋上における助勢行為。成立に争のない乙第一号証の四の中、成立に争のない第五回審問調書中、安田啓の供述部分、同じく乙第一号証の七の中、成立に争のない第十一回審問調書中、山本健一の供述部分並びに証人石原勇の証言を綜合すれば、原告橋本泰之は五月三十一日夕刻、六月一日午前十時頃及び午後十時頃、立入禁止仮処分を無視して、第三工場正門わき警務室の屋根の上に上り、坐込み組合員の労働歌の合唱に赤旗を振つて士気を鼓舞したことが認められる。

(2) 玄関扉の閉鎖防害。五月三十一日午後四時頃、組合員の暴行を受けて昏倒した石原警務長を会社職員が室内に担ぎ入れたあと、菊島経理課長が玄関扉を左右から引合わせて閉じようとしたところ、原告橋本泰之が持つていた赤旗の竿尻を両扉の合せ目に突込み、閉鎖して錠をかけることができなくした隙に、闘争委員らが扉に手をかけ強引にこれを全開したことは、当事者間に争がない。右行為は組合員ら事務所内への通路の確保を目的としたものというべく、立入禁止仮処分の無視に出た行動である。

(3) 炊事室における強迫行為。成立に争のない乙第一号証の七の中、成立に争のない第十二回審問調書中、赤根重子の供述部分、同じく乙第一号証の五の中、成立に争のない第七回審問調書中、石原勇の供述部分、同じく第一号証の七の中、成立に争のない第十二回審問調書中、同人の供述部分、並びに石原勇の証言を綜合すれば、原告橋本泰之は六月一日午後六時頃炊事室内に立入り、前夜来帰宅できないで恐怖していた第二組合所属の女子従業員赤根重子外三名に対し、他の行動部員ら十数名と集団となり、正門前の応援団体の前に連出す気勢を示して畏怖させたことが認められる。

(4) 社宅空家内への無断立入り。原告橋本泰之が本件争議中五月十二日午後八時頃から大淵社宅二七八号空家に部外者を交え約二十名と共に立入つたことは当事者間に争がない。成立に争のない乙第二号証の一の中、証人莊司晃の証言、原告本人橋本泰之の供述及び弁論の全趣旨によつて成立を認められる再甲第二六の四号証の(イ)によれば、右空家使用については会社の許可を受けていなかつたことが認められる。

以上原告滝川明雄、別所信夫、岩田輝、橋本泰之の行為は、いずれも正当な組合活動の範囲を逸脱しているのであつて、その一つ一つをあげれば、中には違法性の比較的軽微なものもないではないが全体を綜合すれば、違法性が甚しく、経営体秩序を紊乱したものとして、懲戒解雇せられてもやむを得ないものといわねばならない。

四、不当労働行為の成否

証人林弘平の証言及び原告本人片山滝男、砂場稔の供述を綜合すれば、原告らの主張するように、会社は闘争委員たる原告ら及び原告砂場専従書記らの組合幹部を嫌い、これら幹部との団体交渉を行うことを拒否してきたことは認められるが、右原告らの本件争議行為はいずれも正当な組合活動の範囲を著しく逸脱し、懲戒により解雇せられるもやむを得ないことは前に説明したとおりであつて、原告らの立証をもつてしても、未だ同人らの正当な組合活動の故に本件解雇がなされたものと認めることができない。前記行動部員らについても同様である。

原告らは、仮りに原告らに多少の違法行為があつたとしても、会社は原告らにのみ懲戒解雇の重い処分をして、他に同一行動をとつた多数の者があるにかかわらずこれらを不問に付しており、これは明かに不当労働行為意思を推認するに足ると主張する。

しかし一般に、使用者がある従業員に対しては、ことさらに軽微な不当行為を取上げて不相当な重い処分をし、同じ行為をした他の従業員は寛大に取扱い、しかもその差別の理由がその従業員の正当な組合活動によるものと認められる場合には、不当労働行為が成立し得ることは否定できない。しかし原告堀本を除くその余の原告らについては、いずれも経営秩序を紊す重大な暴力的違法行為が認められ、これに対する懲戒解雇も重きに失するものとは考えられないのであつて、仮りに原告らのいうように、闘争委員中の三名が争議後第三組合を作つて、懲戒解雇処分を受けないで任意退職し、又行動部員中に行動部員たる原告らと同一又はそれ以上の違法行為をしておりながら、いかなる処分をも受けていない者があるとしても、それだけの事実から直ちにさきの判断を覆えして不当労働行為を認定することはできない。

五、原告堀本浩について

成立に争のない乙第一号証の八の中、成立に争のない第十三回審問調書中、若狭哲六の供述部分並びに証人久山幹夫の証言及び原告本人堀本浩の供述を綜合すれば、原告堀本浩は争議妥結後も組合員が多く第二組合に走る中に依然として組合に留つていたのであるが七月十八日午後一時頃第一工場食堂控室で、同じく第一組合員の同僚工員浦光男に対し、将棋をしないかと申入れたところ、浦が軽くあしらう態度を示したと見てカツとなり、いきなり同人の顏面を殴つて鼻血を出させたことが認められる。また右の各証拠によれば、右傷害の行われたのは昼の休憩時間中であり、且つ業務に支障を生ずることもなかつたこと、争議の前後にも会社の工員の間には、本件に比して重い傷害行為が行われたことがあるが、いずれも出勤停止の懲戒処分或いは無処分ですんだことが認められる。本件争議が会社幹部に、経営秩序維持のため暴力を禁止する方針の必要を痛感させたことは推認するに難くなく、このような暴力行為が容認されるべきでないこともいうまでもない。したがつてこれがためある程度の制裁を課せられることはやむを得ない。しかし原告堀本の本件傷害行為は右に認定する諸事情を綜合して判断すれば、これに「懲戒解雇」という重い処分で臨むことは重ぎに失することのみがある。もつとも同原告は同月二十三日片上町内で会社の第二組合員である工員折田進と口論して同人の顏面を殴つて鼻血を出させたことが、成立に争のない乙第一号証の九の中、成立に争のない第十五回審問調書中、折田進の供述部分によつて認められるのであるが、この事実からだけでは、同原告が常習的な暴力行為者とまでは認定し難い。同原告が争議中行動部員として活動したことは争なく、かつ被告委員会の本件命令書記載によつて明かなように、同じく行動部員中不当労働行為の救済を受けた者が他にも数名あることに照らして考えると、むしろ同原告に対する本件懲戒解雇は、その動機が右認定の浦光男に対する傷害行為に存し且つこれを理由とするも、同時にまた他の理由として同原告が争議中会社側を恐怖せしめた行動部員の一員として活躍したものとする点に在り、しかも前認定のように争議前後の傷害事件に対する会社の取扱いが懲戒解雇をもつて臨んでいないにかかわらず、軽度の傷害に重い懲戒解雇をもつて臨んだことをも考慮するときは、本件懲戒解雇の決定的理由は、同原告の争議中の行動部員としての活動に外ならぬものと判断される。争議中の行動部員の任務は前に述べたとおりであつて、本来合法的であり特に同原告が行動部員らの本件集団暴力行為その他の違法行為全般に終始関与していたことは証拠の上では認められない。したがつて本件懲戒解雇は同原告の行動部員としての正当な組合活動を理由とする不当労働行為であると認めなければならない。

六、結論

以上に述べたとおり、原告堀本浩については不当労働行為が認められ、その余の原告らについては不当労働行為が認められないから原告らすべてについて救済命令を発した初審命令を取消し原告らの救済命令を棄却した被告委員会の本件命令中、原告堀本については違法な処分として取消を免れないと共に、その余の原告らに関する部分は適法である。

よつて原告堀本浩の本訴請求は理由があるからこれを認容し、その面の原告らの請求はすべて理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決した次第である。

(裁判官 千種達夫 立岡安正 高橋正憲)

別紙第一

命令書

(不再)第四十六号

再審査申立人 品川白煉瓦株式会社

再審査被申立人 片山滝男 外二三名

(不再)第四十七号

再審査申立人 砂場稔

再審査被申立人 品川白煉瓦株式会社

右当事者間の中労委昭和二十六年(不再)第四十六号同第四十七号事件について、当委員会は昭和二十七年六月二十五日第百二十九回公益委員会議において、会長、公益委員中山伊知郎、公益委員藤林敬三、同細川潤一郎、同吾妻光俊、同小林直人、同中島徹三、同佐々木良一出席、合議の上左の通り命令する。

主文

(不再)第四十六号事件

初審命令中、片山滝男、橋本真太郎、花家泰二郎、藤本二郎、島村鹿男、山崎薫、小橋豊、浅野伸悟、鈴木定、砂場稔、滝川明夫、別所信夫、岩田輝、堀本浩、橋本泰之、谷口宗一、に関する部分を取消し、右十六名の救済申立を棄却する。

その余の再審査申立を棄却する。

(不再)第四十七号事件

再審査申立を棄却する。

理由

第一

一、当審の(不再)第四十六号事件被申立人等並に(不再)第四十七号事件申立人砂場稔(以上を単に本人と略称する。)は、品川白煉瓦株式会社((不再)第四十六号事件申立人不再第四十七号事件被申立人単に会社と略称す。)の岡山工場(第一、第二、第三の三工場に分れる)の従業員を以て組織された品川白煉瓦岡山工場労働組合(単に組合と略称す。)の組合員であつたところ、会社は昭和二十五年七月二十九日本人等を就業規則違反の事実ありとして懲戒解雇した。その理由とするところは左表記載の通りである。

所属

氏名

事実

第一工場

島村鹿男

(一) 昭和二十五年四月十八日組合がストを含む実力行使を決議して以来連日の如く全面的或は部分的職場抛棄を為して来た外会社はこれに対して職場の秩序維持のため職場抛棄中の組合員の工場外退去従つて工場施設の無断使用を拒否したにも拘らずこの会社の指示に従わず同年四月十九日より同年五月十三日迄の間に行われた職場抛棄に際し其の都度前記会社の指示に反抗し工場内に踏留り工場施設の占拠使用を指令し十数回に亘つて現場に於て組合員を指揮して工場施設の占拠使用を実行し気勢をあげ以て職場の秩序を紊した事実

(二) 昭和二十五年五月三十一日新組合による操業中の会社第三工場内に多数組合員の先頭となり立入禁止を侵して不法侵入し以来同年六月四日に至る迄の間会社側幹部以下十数名の職員を第三工場事務所内に脱出不能の状態におき続いて侵入して来た多数組合員と共に或は之ら組合員の底力をバツクにして会社側よりの数次に亘る退去要求にも拘らず団体交渉を強要し或は会社幹部を吊し上げ或は特別室に乱入する等の暴行脅迫を為し且つ続いて侵入して来た多数組合員、工場組合員外部団体等の暴行脅迫による新組合員の第一組合復帰を強要せしめ仍て前記会社幹部及び新組合員の業務を妨害した事実

山崎薫

第一工場

浅野伸悟

第二工場

花塚泰二郎

藤本二郎

小橋豊

第三工場

片山滝男

工作課

鈴木定

運工課

橋本真太郎

砂場稔

第二工場

大原忠男

(一) 昭和二十五年六月一日午後九時五十分頃新組合員高橋金治郎を脅迫し組合事務所に連行し同所に於て数名の第一組合員と共に右高橋を吊し上げし組合復帰を強要した事実

(二) 同年同月二月午前九時頃十時半頃及び午後三時頃の三回に亘り会杜第三工場玄関前に於て同所に不法侵入し多数組合員の面前で新組合員伊久忠男、時長三郎等を脅迫第一組合への復帰を強要した事実

(三) 同年五月二十五日頃大井一男、小見山但等を率いて和気部日笠村に至り同対内に於て会社臨時工を脅迫して工場への出勤を阻止したる事実

第二工場

滝川明夫

(一) 昭和二十五年五月三十一日夜より翌六月一日朝に至る間第三工場企画課内に多数組合員を率いて不法侵入し同所に於て新組合員約二十名に暴行脅迫を加え吊し上げの目的を以て連れ出した事実

(二) 同年六月一日午前十一時頃別所信夫、日下藤一郎等と共に第三工場叺倉庫の内に不法に侵入し同所に置いてあつた会社所有の叺を持出した事実

(三) 同年五月十九日第二工場組合に於て井口肇、岡部寿夫等に対し吊し上げの目的を以て組合員の前へ連れ出すため脅迫した事実

(四) 同年六月一日伊部社宅事務所に於て社宅係井口武松を脅迫して第一組合復帰届に捺印せしめ更に同日午後七時頃同人を脅迫して組合員大衆の前に連れ出し吊し上げせしめた事実

第三K工場

別所信夫

(一) 昭和二十五年六月一日午前六時頃より数十名の組合員と共に第二王場企画課内に不法侵入し同所に於て新組合員約二十名を暴行脅迫し吊上げの目的を以て同工場正門迄連れ出した事実

(二) 同日午前十一時頃前記第三工場炊事場に侵入し同所に於て女子事務員を脅迫し吊し上げに出る様強要した事実

(三) 同年五月三十一日午前三時半頃第三工場叺倉庫に不法侵入し同折に置きありたる会社所有の叺を持出し使用した事実

タイル工場

岩田輝

(一) 昭和二十五年六月一日午前六時項正宗道雄方に於て同人を脅迫し吊し上げのため連行した事実

(二) 同月二日数十名の組合員と共に第三工場事務所内に不法侵入し組合員にスクラムを組めと指揮し会社側職員の出入を妨害した事実

(三) 更に翌三日午後多数組合員を指揮し先頭に立つて立入禁止区域内たる第三工場事務所前広場に侵入した事実

(四) 同四月十九日出張試験の際業務命令に違反し試験炉を失敗させた事実

第二工場

岩田鐵

(一) 昭和二十五年六月一日朝第三工場企画課内に不法侵入し同所に於て多衆組合員の先頭に立つて新組合員を脅迫し吊し上げの目的を以て連れ出した事実

(二) 同年六月十四日頃第二工場正門前に於て新組合員の就労のための入門を阻止し以てその業務を妨害した事実

(三) 同年四月二十八日午後四時三十分頃第二工場表門に組合員集合した際組長岡部寿夫を脅迫し組合員大衆の前に連れ出し吊し上げしたる事実

第二工場

堤幸良

(一) 昭和二十五年六月一日午後六時頃小見山但外数名と共に第三工場炊事場迄不法侵入し同所に居つた女子事務員を脅迫した事実

(二) 同年五月二十日頃より同月末頃迄の間連日の如く午前五時頃より第二工場表門或は裏門に於て臨時工の出勤を阻止した事実

早瀬一夫

(一) 昭和二十五年五月三十一日午後四時三十分頃会社第三工場の立入禁止区域内に不法侵入し第三工場玄関に於て警務長石原勇を玄関上より玄関下迄突落し以て同人に暴行を加えた事実

(二) 同日午後九時頃右第三向上計器室に於てトンネル窯勤務臨時工一坪三郎を脅迫し謝罪を強要した事実

労務課

橋本泰之

(一) 昭和二十五年五月三十一日より六月四日迄の間数回に亘り第三工場内の立入禁止区域内に不法侵入し警務室屋上に上り赤旗を振り気勢をあげて居た事実

(二) 同年五月三十一日夕方第三工場事務所玄関前まで、不法に侵入し菊島経理課長が玄関の戸を閉めようとしたのを棒を以て妨害した事実

(三) 同年五月十二日午前八時頃より大淵社宅二七八号空宅に組合員及外部団体二十数名と共に不法に侵入した事実

(四) 同年六月一日夕方第三工場炊事場に不法に侵入し女子事務員を脅迫した事実

第三K工場

槇本恵一

(一) 昭和二十五年六月一日午前四時半頃立入禁止区域内たる第三工場管理室内に不法侵入し同所に於て土井浅治外数名の新組合員を脅迫し吊し上げの目的を以て連出した事実

(二) 同年同月十五日午前四時頃第二工場西方松本橋附近に於て就労の為出勤途上であつた守時文也、中村順一、土井浅治の三名を脅迫し出勤を阻止した事実

第一工場

沢谷貞四郎

(一) 昭和二十五年五月十三日より同月三十一日頃までの間第一工場正門前に於て第一組合員数名と共に新組合員並びに臨時工員を脅迫しその就労のための入門を阻止したる事実及び同年六月十四日頃同所に於て同様入門を阻止した事実

(二) 同年六月一日より二日に亘る間第三工場玄関前に不法侵入し多数組合員と共に新組合員円見能男、井口武松を吊し上げ之を脅迫し同人の組長たる職より引退を強要したる事実

(三) 同年五月九日午後五時頃第一工場食堂に於て多数組合員を指導して新組合員宇野和男等を吊し上げ脅迫した事実

工作課

木村幸一

(一) 昭和二十五年四月二十八日午後三時二十分頃第三工場工作課鉄工部で就業中無断で職場を離脱し職場の秩序を紊した事実

(二) 同年六月三日午前二時頃第三工場事務所内に社宅婦人等が無断侵入した際之に退去を要求した警務長石原勇を脅迫し会議室内に連込み同人の業務を妨害した事実

(三) 同年五月三十一日午後三時頃第三工場内新組合事務所内に不法侵入し田中邦三を脅迫した事実

第一工場

谷口宗一

(一) 昭和二十五年六月一日午前六時二十分頃第一工場内の立入禁止区域内に不法に侵入し石原芳夫、武元高志等を脅迫し吊し上げの目的を以て連出したる事実

(二) 同日午前七時五十分頃第二工場内に不法に侵入し赤根住太郎を脅迫し吊し上げの目的を以つて連出した事実

(三) 同日午前六時頃第三工場内に不法侵入し企画課に於て新組合員を脅迫し吊し上げの目的で連行した事実

工作課

堀本浩

(一) 昭和二十五年七月十八日午後一時過頃第二工場食堂控室に於いて浦光男を殴打し鼻から出血せしめた事実

本人等はこの解雇を不当労働行為であると主張し会社はこれを争うので、右解雇に至るまでの経緯ならびに右に挙示する事実の存否について当委員会は以下の如き事実を認定する。

二、組合は昭和二十五年二月上旬会社に対し、賃金最低保障を確保するため、賃金制度改訂に関する団体交渉を申入れ、同月二十三日より四月十七日に至る間九回の団交を重ねたが、結局妥結するに至らなかつた為、遂に、四月十七日午後五時組合大会を開きストライキを含む実力行使を決議すると共に、委員長、本人、片山滝男、副委員長、本人、島村鹿男、同、花家泰二郎、委員、本人、山崎薫、同、浅野伸悟、同、藤本二郎、同、小橋豊、同、橋本真太郎、同、鈴木定、外四名を以て闘争委員会を組織し、争議態勢を整えるに至つた。

本人、砂場稔は、組合專従書記なるも、終始闘争委員同様に活動し、委員会の中にありて争議の指導に参画し、委員と区別し得ない地位に在つた。而して闘争委員会は、組合員中より行動部員なるものを選定し、闘争指令の伝達等の任に当らしむることとし(行動部員は後に追加せられた。)四月十八日闘争宣言を発した。

三、斯くて組合は、四月十九日より五月十八日に亘り連日の如く職場別、工場別、時には全工場における一定時間の職場放棄を実施したが、五月十九日翌二十日には全工場全員二十四時間ストに入ることを会社に通告した。

他方、会社は組合に対して、四月二十一日爾今職場放棄者は当該時間中、工場外に退去方を申入れた、翌二十二日之れが励行を督促すると共に、職場放棄者が工場内の食堂、講堂等、会社施設を無断使用することを厳禁する旨通告し、又会社所有の第三工場正門前広場使用を禁止し、且つこれ等の点につき、屡々組合に警告を発したが、組合は之を無視した。職場放棄者は、依然工場内に止つて食堂、講堂等に集合し、デモや演説を行い、時には工場内をデモ行進し、又右広場においてけつ起大会を催すこと三回に及び、工場の秩序の維持漸く困難を加えてきたので(右の如き会社施設の使用が、会社業務の妨害なることは当審の現地調査で確認された)、会社は、再三組合の反省を促したが効なく、五月十九日には、前記の如き二十四時間スト実施の通告を受けるに及んだので、全工場の閉鎖を決定し、同日午後六時之を発表し、翌二十日より全工場閉鎖を断行した。次いで、会社は、組合を相手に岡山地方裁判所に立入禁止等仮処分の申請を為し、同月二十六日

一、組合の組合員は、会社の岡山工場(第一、第二、第三工場、但し第三工場内に在る組合事務所と同工場内正門より、右事務所に通ずる最短距離の通路を除く)内に立入つてはならない。

一、組合員は組合員以外の会社の従業員が行う業務を妨げてはならず且つ前項記載の工場内え入場の妨害をしてはならない。

旨の仮処分決定を得、翌二十七日執行吏によつて、これを執行し、各工場正門前には、その公示がなされ、前記通路は繩張りを以て区劃せられるに至つた。

四、組合は、五月四日に至つて実力行使後始めて、争議解決のための団体交渉開催を会社に申入れたが、会社より組合がスト態勢を解き、四月十七日現在の線に立戻つて、誠意を示したならば、団交に応ずる用意ある旨の回答に接した。そこで組合は、翌五日団交中はストを行わないこと、工場長と直接交渉したいことを明記した団交申入書を会社に出したが、該申入書には四月十七日現在の線に立戻る点には触れて居らなかつた為、会社の回答は前回同様であつた。

爾来数次に亘つて、同旨の申入と、回答が繰返されるのみであつて交渉に至らず、この間、地元町長等のあつ旋もあつたがこれ亦効なく、ついに組合の申請により岡山地方裁判所は、五月二十六日会社に対し、

一、会社は組合の組合員が工場内の組合事務所に立入ることを妨げてはならない。

一、会社は争議解決につき組合の誠意ある団体交渉の申入れに対し、誠意を以て団体交渉をしなければならない。

旨の仮処分決定を為すに至り、この結果五月二十八日午後一時より三時間団交が持たれたが不調に終つた。

かくの如く、会社は、組合の団交申入に対し、或は組合の受諾し難い条件を附した回答を行い、或は団交によつて解決を図る熱意を欠き、団交拒否と経庭のない態度を固執しつづけたのであつて、これが争議の解決を困難ならしめ、組合を激発せしめる一因となつたことは否み難い。

しかも、これより先、闘争宣言の発せられた翌日四月十九日、会社は突如、非組合員の範囲なるものを一方的に発表した事実もある。組合が之を組合に対する干渉と見たのも無理ではない。しかも一方四月二十八日頃から非組合員といわれた、当の現場職員、組長等を中心とする新組合が工場別に発足し、これに工員も加つて、五月二日三工場合体した新組合が結成されたのであるが、会社はこの新組合に対しては、前記の如き非組合員の主張をなさず、これと全く逆に、その結成大会には、工場長自らが参列して、祝辞すらのべているのである。

かかる、会社の態度によつてか五月末には新組合員は百数十名に達し、これらの者は勿論組合を脱退するに至つた。

(なお、組合及び新組合に対する、会社の支配介入については、昭和二十五年四月組合より岡山地労委に対して救済の申立があり既に解決している。)

要するに会社は、要求を掲げて容易に譲らないこの組合を嫌忌して居たことは推認するに難くない。

五、五月三十一日朝、会社は本社よりの送金未着のため、午前九時頃資金繰つかす工料の支払を六月三日に延期する旨組合に通告した処、正午頃闘争委員を先頭とし組合員約四百名がスクラムを組み、縦隊を以て第三工場内組合事務所に行進し、引返して門から同事務所えの区画された通路に坐り込みを始めた。又其頃から外部団体社宅婦人等が続々と第三工場正門に蝟集し来りてその広場に集合し、人数三、四百人から逐次増大し、夕刻には、一千人を超え翌日からは五千人位に達したこともあり、此の集団は人数の増減、組成員の交替はあつたが六月三日夕刻迄解かれず、絶えず気勢をあげ一方組合員の坐り込もあつて、会社幹部及び新組合員を畏怖せしめるに十分な状勢となつていた。

其の間

(1) 五月三十一日午後一時頃片山闘争委員長、浅野、山崎各闘争委員(以上本人)外闘争委員三名計六名は白鉢巻をなし、仮処分の立入禁止線を突破して、会社事務所内に入り、河西事務長の席の前方入口に到り入室を遮つた課長等との間で「団交を要求する」「仮処分侵犯だ」と押問答をなし、折柄来合せた警察員の執り成しで一時半過ぎ一旦引揚げ、改めて賃金不払に関する団交の開催を書面で申入れ、午後三時から、会社事務所内会議室において団交を持ち、会社より遅払の事情の説明と六月三日支払の確約がなされて事なく四時頃終了した。

(2) 然るに、本人、片山闘争委員長を始め、本人、島村、花家、山崎、浅野、藤本、小橋、橋本、鈴木、その他闘争委員殆んど全員及び本人、砂場專従書記は団交終了後も、右会議室に居残り、爾来六月四日朝まで引続き同所を占拠し、団交中は別として会社の退去要求にも不拘敢えて立入禁止の仮処分命令を蹂躙した。

(3) 右の団交における碪企画課長の発言中に暴言ありとして闘争委員の本人、橋本は、団交中外に出て門の上に股がり、群集に之を報告し、闘争委員大原昇等も坐込中の組合員に同様の報告をした午後四時過団交終るや闘争委員たる本人浅野を含む組合員数十名は立入禁止区域内に乱入して碪課長を引摺り出せと騷ぎ、制止せんとした警務長石原勇を取囲み、大勢にて蹴り、つねり、鉄筋コンクリート壁に押付けるなど揉み苦茶にして遂にその場に昏倒負傷せしめるという暴行が行われ、爾来立入禁止区域は組合員が恣に出入するところとなつた。

(4) 同日午後七時頃には、本人片山闘争委員長、砂場專従書記を含め、前記会議室に居残つていた闘争委員が会議室を出て事務室に入り、河西事務長の机を取巻き同事務長に対して、本来の賃金問題に関し(賃金遅払に付てゞはない)直ちに団交を開けと強要し、口々に罵詈雑言を吐きながら、午後十一時頃地元町長が来たときまで約四時間に亘つて事務長を吊上げた。その間午後九時半頃、本人、橋本は団交要求の模様を外部に中間報告したが、その頃事務所の周囲を取囲みはじめた組合員等大勢に対し、その居場所を指令した。午前零時頃河西事務長が姿を隱すや、闘争委員等は事務所内を探し廻り或はマイクを通して外部に対し

「事務長が逃げたので探して居る。」と放送し、翌朝午前三時頃事務長が事務室に現われると、再び前同様闘争委員による事務長の吊上げを続けたが、これに先立ち前記碪企画課長が午後十一時過頃、組合員数十名に連れ出され正門前において外部団体のために十一時四十分頃から翌朝午前四時頃迄吊上げられて居た関係もあり、会社側は午前四時に至つて、同五時より団交開始を承諾したので、事務長は漸く吊上げから解放され、碪課長は闘争委員小高賢治が吊上現場に行き、団交が始まるから来いと告げ、碪課長が自由を拘束されて居り行けぬと答えるや、自分が責任を持つと言うので漸く引揚げることを得たが、一人もこれを阻止する者は無かつた。その少し前、本人、橋本も莊司資材課長に対し、団交を開けば、こちらに来ている課長を返す意味の発言をしている。事務長の吊上げは済んだが闘争委員等は引続き団交開始まで事務長の机の囲りから去らなかつた。

(5) 右の外五月三十一日午後より、翌六月一日朝に亘つては、行動部員に付て後述するが如き新組合員に対する暴行脅迫等が行われ、新組合員は全員組合に復帰、新組合は解散を余儀なくされた。

(6) 会社は地元町長に電話連絡をし、その立会を得て六月一日午前五時より団交に応じたが、団交は、何等進展するところなくして午前八時頃一応これを閉ぢた。爾来六月五日夜明け前迄の間に前後十五回延二十四時間余に亘り、昼夜の別なく深夜にすら団交が行われた。然し賃金遅払については、五月三十一日午后の団交限りで、その後一言も触れたことはなかつた。

(7) 六月二日夜十時出張中の藤田工場長が帰宅するというので、組合側は「団交は明日でもよいが、今夜是非工場に出て呉れ、特別室までは、組合が責任を持ち安全にお連れする。」と申入れ、会社職員、闘争委員、地元町関係者等六人にて工場長宅へ迎えに行つた結果、藤田工場長は十時半頃正門前に到着したが。部外者の演説中の為入門できず待ち合せていた。その際、闘争委員全員と行動部員とが、消防器具庫附近の暗き所に円形に密集して何事かを協議したが、演説が終つて十一時半頃工場長は門内に入り、玄関前に到つたところ、突如片山闘争委員長初め本人等を含む、闘争委員殆んど全員と行動部員二、三十名は、工場長を取囲み、玄関に入るのを阻止し、片山委員長は、野外団交を要求したので、状勢不穏と見た会社職員数名が囲を破つて工場長の手を執り、揉み合いながら玄関から特別室に連れ込んだ。ところが間もなく右片山その他闘争委員及び本人砂場が不法に立入禁止の特別室前の廊下に侵入し、その廊下に面した窓のガラス障子をはづして窓越しに団交を要求し、或は組合案を呑めと迫り、折から特別室の外側空地(これに面する窓もガラス障子)に詰めかけていた多数組合員に対して、本人、橋本が、包囲を二重にせよ、出るのを絶対監視せよ、などと指令し、中から闘争委員が、会社の沈黙は組合案を承認したものと思うが如何と云えば、外部より、異議なしと呼応するなど喧噪を極め、本人、砂場が、会社が承認した意味のことを紙片に書くと居合せた、山台県窯連書記長が之を持つて、前記障子のはずされた窓を飛越えて特別室内に闖入し、藤田工場長に対して、執拗に調印を求め、会社側があくまでも沈黙を続けるので、捨台詞を残して窓から室外に去るに及び、闘争委員等も漸くそこを退いたが、次いで社宅主婦等が午前三時頃迄二、三十人宛交々右の廊下に入り来り吾々の云うことを聞いて呉れと訴へ全部が特別室周辺から退散したのは午前三時過であつた。

(8) 六月三日には午前八時半過より組合員が会社事務室内電話交換台を占拠し、昼頃労働基準監督署員が工場の状況視察に来て特別室に入ると同時に会社の制止をも聞かず、本人、片山等闘争委員十名前後が特別室に押入つて床に坐り込み公開団交を行へ、団交席上にマイクを据えよ、と要求し、二、三十分間押問答の末、会社が午後一時過から団交を開くことを承認するに及んで、闘争委員等は室外に去つた。

その団交は開かれたが物別れに終つた。

(9) 同日午後菊島経理課長が当日支払う約束の賃金を銀行より現金で引出し、麻袋に納めて、第三工場に持帰つた際、警官が護衞して来たので、行動部員の赤津勉、本人、岩田輝等が犬に護衞されて来るような金を受けるな、彼奴を入れるなと叫び組合員数十名を指揮して、菊島課長を身動きならぬ状態に包囲せしめ、前後左右に押合い、或は金袋を引張る等の暴行を加えて、会社事務所に入るのを妨害した。

(10) 六月四日午前三時頃組合員の警戒が薄らいできたのに乗じ、藤田工場長、河西事務長外工場幹部等は辛うじて工場裏手の板塀の隙間より脱出することを得たが、その際も塀に達する前本人、片山が追跡して来て、工場に止る様要請した事実もある。六月四日夜会議室において午後八時頃迄団交が開かれたが、会社側が不安を感じて特別室に逃げ帰るや、闘争委員の本人等は又も特別室に侵入床に坐り込んで団交を要求し、翌五日午前一時より約一時間半団交を開かしめたが、会議室、特別室の外は依然組合員大勢が取巻いて居り、工場長以下会社幹部は夜の明けるまで特別室に閉ぢ籠る外はなかつた。

六、六月五日より暴力行為者の検挙が始まり、六月十五日組合側片山闘争委員長外四名と会社側藤田工場長外三名との接衝の結果、争議解決の基本的考えが一致し、同月十八日の仮調印を経て、同月十九日組合、会社間で協定書に調印を了し、爰に二ケ月に及ぶ争議は漸くにして解決した。

その後月余を経て、七月二十九日本人等が懲戒解雇されるに至つたことは、冒頭に記した通りである。

七、なお、これより先、本人、堀本浩は七月十八日午後一時頃第一工場臨時控室において、何等の理由もないのに突如工員浦光男の顏面を三回殴打し鼻から出血せしめた。

同人も七月二十九日就業規則違反として、解雇されたこと前項同様である。

第二

一、(一) 本件争議中組合は、会社が工場秩序維持のため、屡々組合に対して為した正当な申入れに全く耳を藉さず、裁判所の仮処分命令をも蹂躙して、立入禁止区域殊に建物内まで多衆を以て擅に侵入横行し、或は坐り込みを行い、或は事務室を包囲し、或は四日間にわたつて建物の一室を占領し、交換台を占拠し、多衆に昇る外部団体の行動とも相呼応し、その結果、五月三十一日以降六月三日夜半まで、会社幹部をして畏怖の為、事務所内に留まらざるを得ない状態に陥れ、剰えその間、会社幹部その他に対して幾多の暴行脅迫を敢えてしているのである。

かような幾多の不法行為を伴う争議行為全体についてみるときそれは正当な組合活動の埓を超えるものであつて、かゝる争議の指導者たる闘争委員、本人、片山、島村、花家、山崎、浅野、藤本、小橋、橋本(真)、鈴木及び、これと一体をなして行動した、本人、砂場に対して会社が、責任を追求することは当然の理である。

况んや、闘争委員、本人等自らが河西事務長を前後五時間にわたつて吊上げ、又闘争委員中のある者は、碪企画課長の五時間に及ぶ吊上げに参加する等、自らも正当な団体交渉とは、かけ離れた暴力行為を敢えてしているのであるから、右の如き争議全体の責任のほか、直接暴力行為者としての個々の責任をも免れるものではない。会社はこれらの責任を理由に右本人等を解雇したのであつて、右本人等の正当な組合活動を理由に解雇したものと認めることはできない。従つて右解雇は不当労働行為なりとする右本人等の主張は到底肯認することはできないのであつて、これを容認した初審の判断には同意し得ない。また右解雇は不当労働行為であることを前提とする本人砂場の再審査申立は理由がない。

右本人等は「組合員の坐り込み自体乃至立入禁止線踰越を指令又は指示したことはなくむしろこれを制禦したが疲労に力尽き能くしえなかつた。又社宅婦人や外部団体の行動は組合とは無関係である。」と主張する。しかし組合員の坐り込みは、右本人等が先頭になつて、組合員約四百名を率い隊伍堂々組合事務所に行進したことに発端するものであり立入禁止線踰越は闘争委員長はじめ闘争委員が真先にこれを敢行したことに始まるのである。

多数組合員の立入禁止線踰越について、右本人等が一、二回制止したことは認められるが、それは形式的、申訳的のものにすぎなかつたといわざるを得ない。

それが疲労の為であつたなどということは、右本人等の爾余における活溌な活動に照らして到底首肯し難い。従つて右本人等は組合員の仮処分命令に違反する坐り込み及び立入禁止線踰越についての責任を免れることはできない。

而して、右の坐り込み及び立入禁止線踰越の直接の契機が賃金遅払の発表による組合員の激昂に存したこと、従つて、これについて会社に責任があることは認めるに難くないが、右発表の前日において既に「明日こそは断乎として反撃、閉鎖中の賃金全額を出せ、工場の前に坐り込め、執拗に団交を要求せよ、主婦も子供も参加せよ、立入禁止をぶち破らねばならぬ」などと書かれた外部団体のビラが撒布されていたこと、当の賃金遅払に関する団交は五月三十一日一回限りの団交で事なく終了し、爾後の団交においては、全く問題とされなかつたこと、六月三日菊島経理課長が該賃金を銀行より持参し来て事務所に入らんとした際これを歓迎するどころか、却つて多衆をもつて暴行を加えたこと、等に鑑みれば、坐り込みの真の理由が会社の責に帰すべき賃金遅払にあるのではなく実は本来の賃金問題を有利ならしめる攻撃的のものであつたことを窺知するに足り、本件坐り込み以後の事態の責任を一概に会社に帰せしめんとする右本人等の主張は当を得ない。且又坐り込み以前においても、前記の如く、少くも闘争委員としては外部団体の応援を予期しうべき状態にあつたのであるから、遅払に関する団交が事なく終了したにも拘らず、なおも坐り込みを解かしめず、右本人等自らが、かえつて激烈な行動に出たことは、まさに外部団体の企図に相呼応するものといわざるを得ない。勿論斗争委員会として外部団体の応援を拒否した事実などは全くない、要するに闘争委員会は、外部団体を後楯としてこれと一体となつて会社の譲歩を迫つたものと、認められるのであり、外部団体の行動について無関係、無責任ということはできない。

なお、右本人等の爾余の点に関する主張については後記((二)第二段以下)の如く判断する。

(二) 次に行動部員についてゞあるが、本件における行動部員なる者は、闘争委員会の手足となつて、闘争委員会の指令を伝達し、或はこれに情勢を報告する等の任務を負うものであるが、争議の方針を定め、又は、これを指導する者ではないから、前記闘争委員に対するが如き、争議全体に対する責任を負わしめるべきものではない。又、いわゆる行動部員なるものは、その語感からしても、歴史からしても、暴力の発動を目的とする組織であるが如き感があり、民主的労働組合には相応しからぬものと考へられるが本件においては、一概に暴力組織とは認め難く、行動部員としての前示任務の遂行は、正当な組合活動として法の保護に値するものと考えられる。

しかし乍ら、行動部員滝川明夫、別所信夫、岩田輝、橋本泰之、谷口宗一については、会社の挙示する解雇理由に関し、左記の如き暴力行使の事実が認定される。

(1) 滝川明夫は

(イ) 六月一日早朝より数回にわたつて組合員数十名を率い会社事務所内企画室に侵入し、殺気立つた大衆や、組合員による吊上げを避けて集つていた新組合員約二十名に対し、その手足を引張る等の暴力を加え、「門外の大衆に挨拶せよ」「組合に復帰せよ」等と執拗に強要し、これ等新組合員を顏色蒼白となるほど畏怖せしめ、その結果遂にこれを門外に連れ出した。

(ロ) 六月一日昼第三工場叺倉庫内に侵入し、会社所有の叺を無断で持出し、組合員の坐り込みに使用させた。

(ハ) 六月一日午後五時半頃五、六名の組合員を伴い、社宅事務所に至り、既に当日は多数の新組合員が吊上げに遭つたことを知つて畏怖していた社宅係井口武松に対しその畏怖に乗じて組合復帰を強要し、復帰届に捺印させ、更に、同日午後七時頃同人を大衆の前に連れ出し、吊上げに遭わしめた。

(2) 別所信夫は

(イ) 六月一日朝、会社事務所企画室に侵入し、前記滝川明夫と同様((1)の(イ)記載)の暴行脅迫を行つた。

(ロ) 同日午前十一時頃組合員二名を率いて、第三工場炊事室に立入り居合せた女子事務員を畏怖せしめた。

(ハ) 五月三十一日昼間第三工場叺倉庫に侵入し、会社所有の叺を無断で持出し、組合員の坐り込みに使用させた。

(3) 岩田輝は

(イ) 六月一日午前六時頃十四、五名の組合員と謀り、工場社宅係正宗道雄を脅迫して、第三工場正門前の大衆に吊上げしめる為に連れ出し、約三時間に亘る大衆の暴行を交えた吊上げに遭わせた。

(ロ) 六月二日午前十時頃、第三工場事務所内に組合員数十名と共に侵入し、特別室に出入りできない様にスクラムを組めと指揮して一時間以上特別室前にスクラムを組ませ、その室の出入り阻止を命じた。

(ハ) 六月三日午後、既述の如く菊島経理課長が銀行より現金を持ち帰つて来た際「あれを入れるな」と叫び多数組合員を指揮して、第三工場玄関前において、右課長に暴行を加えしめ入室を阻止した。(前記第一、五の(9))

(4) 橋本泰之は

(イ) 五月三十一日より六月四日迄の間、数回に亘り前記立入禁止の命令を全く蹂躙して不法にも第三工場内警務室屋根の上によぢ登り、屋上より正門内外に蝟集する組合員及び外部団体の大衆に対し、嬌激な言動を以て煽動し、さなきだに、険悪な空気を更に悪化せしめ、幾多の暴行脅迫を行うが如き気運を醸成した。

(ロ) 五月三十一日午後四時頃、既述の如く昏倒した石原警務長を会社職員が室内に担ぎ入れ、同人を静穩の裡に介抱するため、ならびに頓に険悪化して来た玄関前の大衆の乱入を避ける為、急いで玄関扉を左右より引合せて、これを閉鎖施錠しようとしたところ、不法にも竿尻を両扉の合せ目に突込み、実力を以て閉鎖を防害した。この隙に闘争委員等が扉に手を掛け、強引にこれを全開し、爾後事務所内は組合員等の擅に横行するに任せられるに至つた。

(ハ) 五月十二日午後八時頃より大淵社宅二七八号空室に管理者の許可なく、無断で侵入し、部外者も交えて約二十名を以て民主青年団支部結成の協議を行つた。

(ニ) 六月一日午後六時頃第三工場炊事室に数人と共に立入り居合せた女子事務員を畏怖せしめた。

(5) 谷口宗一は

(イ) 六月一日午前六時二十分頃、行動部員及び外部団体の者十五、六名と共にトラツクに乗り、第一工場正門に至つて開門を強要し、二、三名を率いて工場内に侵入し、事務室に宿直中の新組合員石原芳男を脅迫し、吊上げの目的を以て強いてトラックに乗せた上、一且香登方面に赴き、新組合員等を強要して連れ出した帰途、午前七時頃再び本人外三名が右事務室に侵入し、新組合員武元高志を脅迫して、強いてトラックに乗せ、石原と共に第三工場に連行した。

(ロ) 同日午前七時過頃前項記述のトラックは第一工場より第二工場に至つて正門前に停車し、本人が閉されていた門の潜戸に体当りしてこれを開き第一工場と同様十数名を率いて、工場内に侵入し事務所に居た新組合員、岡部寿夫、秋山実、赤根信太郎外数名の新組合員を吊上げの目的を以て無理強いに殊に岡部、秋山は部外者が暴力を用いてトラックに乗せ、第三工場に連行した。

(ハ) 同日早朝前示の滝川等と共に第三工場会社事務所内企画室に侵入し、一旦トラックによつて上述の如く第一、第二工場等を廻り、新組合員を連れ帰つた後、再び右企画室に入り、吊上げの目的を以て右両名と共に新組合員約二十名に対し、脅迫を加え門外に連れ出した。

以上の如く、右本人五名については、会社の挙示する解雇理由に符合する暴行脅迫の所為が認められ右本人等の行動には、正当な組合活動の域を逸脱するものがあると認定されるので、これを理由とする右本人等の解雇が不当労働行為ではないことは明白である。従つて、右本人等に関する初審の判断も支持することができない。

右本人等は、新組合員中本人等と同等乃至はそれ以上激烈な行動に出た者があり、これらの者が全く不問に附されているにかかわらず、右本人等等のみが懲戒解雇されているのは、均衡を失した不利益取扱であると主張するが、たとえ、これが事実であるにせよ、労組法上暴力の行使はいかなる場合においても、正当な組合活動とは解釈できないのであるから、前記の如く暴行脅迫にわたる所為のある以上、これを理由とする解雇が不当労働行為とならないことは何の変りもない。かゝる逸脱した組合活動に対する会社の措置に彼此差別があり、それがたとえ不当であつたにしても、それは当該措置が不当労働行為であるか否かの問題とは別個の問題である。而して、その差別の由つて来るところが、本人等の主張する如き坐り込み前における正当な組合活動であつたにしても、これが坐り込み後おける不当な所為を正当な組合活動たらしめる筋合でない。従つて、此等の点に関する本人等の所論は採るに足らない。

又本人等は、六月十八日争議妥結の仮調印に際し会社が本件争議については犠牲者を出さぬ旨言明し、翌十九日の正式調印後においても、組合側代表に対し、同旨の言明をしたと主張し、当審証人、原田重兵衞、同国房勘一の証言を以て立証せんとしている。しかし、かゝる約束が文書に作成されていないことは勿論、本人等も主張する通り、地元町長等のあつ旋に際し、会社が団交の内容を賃金問題に限定すべきことを固執して責任に関する問題については最後迄回避した事実、並びに、当審証人林弘平(右地元町長)の証言とに照らせば、本人等主張の如き約束が行われたとは到底認め難いのみならず、かかる約束の有無はもともと不当労働行為の成否には、何の関係もないのである。

更に又、本人等は、かつて昭和二十四年十月における二百名の整理解雇は組合と協議の上行われたのに対比して、本件解雇は、組合と何等の協議をもなさずに、行われたのであつて、信義則に反すると主張するが、整理解雇であるならば兎も角、会社が就業規則に基き懲戒解雇を行うに、組合と協議しないからとて、別段の約定のない限り、信義則に反するとは云えない。また、信義則違反ということを以て、不当労働行為であると主張することは、もともと筋違いといわねばならない。

(三) 本人堀本浩は「第一の七」に説示した暴行が就業規則違反であるとして、懲戒解雇されたのであるが、叙上の如き、暴行を伴う争議直後においては、会社が工場より暴力を排除することに努めるのは当然であり、工場内控室における他の工員に対する理由なき暴行を敢えてした本人を会社が懲戒解雇したことは必ずしも無理ではない。少くとも、会社は本人の組合活動を理由としたものではないからこれ亦不当労働行為ではない。この点に関する初審の判断も支持し難い。

二、以上の如く本件争議行為は、暴力の行使を伴つたのであるから争議全体の責任者たる本人、片山闘争委員長をはじめ、各闘争争委員が、争議全体について責任を問わるべきこと、及び本人、滝川行動部員外前記四名の行動部員が、各自の行つた暴力的所為について、責任を問わるべきことは当然であるが、さればとて、このことが、個々の一般組合員乃至は行動部員の争議中における、個々の行為までも当然に不当ならしめるものでないことは既述の通りであつて、前記五名の行動部員の如き逸脱した行為のない限り、争議中の組合活動が労組法の保護をうけることに変りない。而して、本人行動部員、大原忠男、織井歳彦、早瀬一夫堤幸良、槇本恵一、沢谷貞四郎、木村幸一について、会社の挙示する解雇理由に関しては、次の事実が認定される。

(1) 大原忠男は

(イ) 六月一日午後九時五十分頃他の行動部員四名が新組合員、高橋金治郎方に赴いて同人に組合事務所に同行を求めた際、これに同行し、同人の態度を非難した事実は認められるが、暴行脅迫の事実は認めるに足る証拠がない。

(ロ) 同月二日午前九時頃、十時半頃及び午後三時頃の三回に亘り、工場玄関前における組合員の坐り込みに参加したことは認められるが、新組合員を脅迫したとは認め難い。

(ハ) 五月二十五日、和気郡日笠村に赴いた事は認められるが、同村知人の家を訪問したに止つて会社のいうが如き、臨時工に対する出勤阻止の事実はない。

(2) 織井歳彦は

(イ) 六月一日朝第三工場会社事務所内企画室に入つたことは認められるが、前記滝川に単に随行したというに過ぎない。

(ロ) 六月十四日第二工場門前において多数組合員と共に立つて入門者を調査、監視した事実は認められるが、新組合の入門を阻止した事実は認められない。

(ハ) 四月二十八日午後四時半頃第二工場正門前に第一、第二、第三工場の組合員多数が集合し、数名の組合員が事務所に入り勤務中の新組合員岡部寿夫に向つて、新組合設立の趣旨を右組合員大衆に説明せよと迫つた際そこに居合せた事実が認められるに過ぎない。

(3) 堤幸良は

(イ) 六月一日午後六時頃前掲橋本泰之等と共に第三工場炊事場に立入つた事実のみが認められる。

(ロ) 五月二十日より月末迄の間屡々午前五時頃から第二工場表門又は裏門前に立つて入門する工員、臨時工の状況を調査しこれを組合に報告した事実が認められるのみである。

(4) 早瀬一夫は

(イ) 五月三十一日午後四時半過、第三工場玄関において、前記(第一、五の(3))の如き、石原警務長に対し、多数組合員による暴行が行われた際、同所に居合せたことは推認できるが右警務長を玄関上より玄関下に突落したと確認するに足る証拠は存しない。

(ロ) 同日午後九時頃第三工場において臨時工一坪三郎を誰何し同人が計器室に入つたので右本人も続いて入り、一坪三郎を非難した事実はあるが、何等脅迫と称すべきものではない。

(5) 槇本恵一は

(イ) 六月一日午前四時頃組合員約十名が第三工場会社事務所内管理室に侵入し、同室内に就寢中の新組合員約十名を吊上げの目的をもつて連れ出した際、戸外に居合せた事実はあるが右に加担したと認め得る証拠はない。

(ロ) 六月十五日午前四時頃第二工場西方の途上に於て、当時は既に組合を脱退して居た守時文也、中村順一が出勤のため通りかかつたのを呼び止めて同調方説得した事実が認められるのみである。

(6) 沢谷貞四郎は

(イ) 五月中旬の工場閉鎖以後、同月末迄数度にわたり、ならびに六月十四日第一工場正門前において、多い時は百数名、少い時は十数名と共に立つて入門者を監視した事実が認められるにすぎない。

(ロ) 六月一日午後七時頃の組合員以外の大衆による社宅係井口武松の吊上げ、翌二日早朝における組合員による同人の吊上げ、同日午後における組合員による新組合員円見熊夫の吊上げが行われた際、これに居合せ、二、三の発言をした事実は認められるが脅迫と認める程のものではない。

(ハ) 五月九日午後五時頃第一工場食堂において、新組合員宇野和男に対して、組合員約百名が吊上げを行つた際、これに居合せ「前に出て話をしてくれ」と云つた事実はあるが、脅迫と認める程ではない。

(7) 木村幸一は

(イ) 四月二十八日(未だ行動部員になつていない)午後三時二十分頃第三工場工作課鉄工場に就業中、無断にて組合事務所に趣き数分間職場を離脱したことは認められるが、特に職場秩序を紊したとも認め難い。

(ロ) 五月三十一日坐り込み開始前第三工場内新組合事務所に赴いて、新組合長田中邦三等数名に対し、新組合設立趣旨の説明を求める使者となつたがその言動は平穩で脅迫があつたとは認め難い。

(ハ) 六月三日午前二時頃第三工場会社事務所特別室近くに乱入した社宅婦人に対し、退去を求めた石原警務長に向つて「貴方も労働者ではないか云々」と呼び掛けたことは認められるが、暴行脅迫の事実は認め難い。

右の如く会社が右本人等について挙示する解雇事由は、或は事実に反し、或は暴力の行使とは認め難く、或はいわゆる平和的説得と認められるものであつて、これを既述のところ(第一の四)と考え合せれば右本人等に対する解雇は、他の正当なる解雇に便乗した解雇であつて、それが不当労働行為であることは明白である。従つて、右本人等七名に対する初審命令は正当であつて、再審査申立は理由がない。

第三

以上の通りであるから当委員会は、労働組合法第二十五条、第二十七条中央労働委員会規則第五十五条を適用し、主文の通り命令する。

昭和二十七年六月二十五日

中央労働委員会会長 中山伊知郎

別紙第二(原告ら主張の会社の対組合態度)

一 組合ははじめ課長、組長などの職制が執行委員であつたため大量人員整理や越年資金要求に当つて会社のいうなりになる有様であつたが、賃金制度の欠陥から賃金が不安定化して来たためその改訂交渉を開始することとなるに及んで、昭和二十五年二月初旬執行部の改選において七名の執行委員は一名の組長を除き他はすべて強硬な平工員をもつて占められ組合は面目を一新した。会社は新執行部を嫌悪し、その潰滅を企図し、右賃金制度改訂交渉にも工場長は組合の数回にわたる要望にかかわらず遂に出席せず、同年四月新執行委員を中心に闘争委員会が構成せられ斗争宣言が発せられるや、闘争委員を毛嫌いして団交拒否の態度をとり、組合の切崩し、第二組合の育成に乗出した。

二 組合切崩

闘争宣言の翌日、組合員の範囲に関する声明を発し、庶務労務経理企画課職員で会社の決定に直接参画し又は機密の事務を取扱う者現場担当職員、組長を非組合員として取扱うと発表したため、これらの組合員は斗争指令に従つて業務命令を蹴れば、その地位を脅かされざるを得ない。この声明が出た翌日、職員、組長らは会社と組合に対し、「平和裡に団交せよ」との具申書を提出し、会社が「組合がスト態勢を解かぬ以上団交に応ぜられない」と答えるや、直ちに組合に対し「スト態勢を解いて団交せよ」と要望するに至つた。組合はこれを分派活動として非難したところ、会社側とこれらの者とは職員社宅において会合し、四月二十八日第一、第二、第三工場別に第二組合が結成された。

三 第二組合育成

工場別第二組合が結成せられるや、その中心となる第三工場の第二組合には直ちに会社から事務所が提供せられ、第一、第二工場には掲示板を作るための資材が会社の自動車で運ばれた。

これら工場別の第二組合は五月二日には合体して「新労働組合」なる一本の第二組合となつた。五月五日会社は「重ねて従業員に告ぐ」との声明書を発して、組合のストを非難し、闘争委員会が反省して誠意を示さぬ以上交渉の余地はなく、会社は重大な決意を以て断乎たる処置に出ると首切りを暗示して脅迫し、第二組合を確認して団交に入つたと宣伝した。この声明は、当時会社が組合の団交申入を拒否したことに照応して、第二組合を尊重して団交することを明かにし、組合員を動搖させようとしたものである。

工場長も、組合との団交には要求を受けながら一度も出席しなかつたのにもかかわらず、第二組合との団交には出席して賞賛激励した。

第二組合員となつた職員、組長らは、就業時間中たると否とを問わず無制限に反スト、反組合の活動を開始した。又組合員数は百名にも充たなかつたにもかかわらず、專従的に組合事務に従事する者が四、五名に及び、しかも賃金を支給せられている。

四 団交の拒否

会社は早くから組合がスト態勢を解かぬ以上団交しない旨を表明していたが、組合が五月四日以後再三にわたつて団交を要求したにかかわらず、同じ理由で遂にこれに応じなかつた。

五月中旬、地元の片上、伊部両町(合して現在の備前町となる)当局者が団交あつせんを図るや、会社は闘争委員を嫌悪して、交渉委員は闘争委員以外の者をもつて充てることを団交再開の条件として固執し、又組合は会社がそれまでに闘争委員に対して「断乎たる処置をとる」とか、「処置を留保する」とかしばしば解雇を暗示する意思表示をしているので、この問題をも団交の議題とすることを望んでいたところ、会社はこれについて先手を打ち、「団交の議題は賃金問題に限る」という条件をもつけていた。組合は以上の条件を承諾せず団交はできなかつた。

五月下旬、組合は岡山地方裁判所から団交拒否禁止の仮処分命令を得たので、会社も遂にこれに屈して五月二十八日午後一時から四時までの時間を切つた団交を承諾した。然し組合は前記あつせん者の熱心な勧めもあつたので組合大会を開き交渉委員の改選を行つた結果は、交渉委員として全員従来どおりの闘争委員が選ばれた。団交席上、会社は冒頭に「ストの責任を問う」と発言し、次で、「四月十七日(闘争宣言直前)の会社案を下廻る新提案を提示しなければ団交は無意味である」と主張したため、交渉は進展せず、四時が来るとともに次の団交の日取りを決めることもなく打切つてしまつた。

六月八日前記片上、伊部両町当局者が最後案なるものを作成し、(四月十七日会社案に、賃金の最低保障を加えたもの)、これが労使双方に受諾せられなければ、あつせんから手を引く旨を附言した。組合は止むなくこれを受諾したが、会社はこれを受入れようとせず一方において職員、組長を総動員して反組合宣伝を昼夜の別なく繰返えさせ、組合の切崩しを図つたから、生活に窮しつつあつた組合員は漸次第二組合に走り、約半数に減じた。

六月十八日、組合は四月十七日会社案に、一人につき月八、一八〇円の最低賃金を保障する旨の覚書を付して会社と妥協したが、会社が闘争委員とは正式調印をしないと主張したため止むなく仮調印をした上で争議妥結のための交渉委員を選び六月十八日これら委員によつて正式調印がなされた。

五 争議妥結後の組合圧迫、第二組合との差別待遇

会社は七月二十九日原告らの外、行動部員全員を、争議中の越軌行動を理由に、又行動部員堀本浩を休憩時間中友人の鼻を殴つて鼻血を出さしたことを理由に、いずれも懲戒解雇した。この解雇は、会社が組合の弱体化を図ると共に、本件争議行為を当初から不当とし、それに対する報復のためになしたものである。前記仮調印に際し河西事務長は本件争議については犠牲者は出さぬと約束しながら会社がこの挙に出たことは、会社の報復意図の断乎たることを裏書するものである。

その他、会社は組合員を職場転換したが、ほとんどが馴れない肉体労働のはげしい職場へ移されたため、堪え切れずに第二組合に走つたり、退職する者が続出した。

次に賃金の差別待遇として、第二組合員には四月度の賃金として「四月十七日会社案」により支給しているのに、組合員に対しては争議妥結に際し組合が呑んだ右と同じ「四月十七日会社案」を四月度賃金に遡及して支払わず同一の労働について賃金を差別することは許されぬ差別待遇である。又争議後、第二組合員の昇給度は異常に早く、組合に長い間頑張つていて遅く第二組合に走つた者などはほとんど昇給がなく、組合員はどこの職場でも従来自分より下であつた者の下位に立たされてしまつた。

貸付金の差別待遇もある。争議妥結後、組合が争議による生活困難を理由に貸付金の要求をしたところ、六月末頃第二組合(当時は品川再建同志会と称した)も同様の申入をした。ところが会社は、直ちに「品川再建同志会の申入れによりその会員に一人三千円以下を貸付ける」旨を掲示発表し、同時に組合員にも同様を貸付ける旨を末尾に小さく附記した。このように第二組合を尊重するに引かえ組合を軽視し、しかも組合員には、第二組合員より一人当り千円減額して貸付けたのである。その理由は、組合員は組合から生活資金として千円借りているからというのであるが、このようなことが会社の貸付金差別の理由とならないことは余りにも明かである。

別紙第三(原告らの主張する被告の誤認点)

一、命令書理由第一の二

「砂場稔は終始斗争委員同様に活動し、委員会の中にあつて争議の指導に参画し、委員と区別し得ない地位に在つた。」との点は会社の一方的な見方をそのままに認めた誤認である。(以下「」内が被告の誤認点)

二、同第一の三

(1) 「工場内の食堂、講堂等会社施設を無断使用することを厳禁する旨通告し、又会社所有の第三工場正門広場使用を禁止し、且つこれらの点につきしばしば組合に警告を発した。」とあるが、一応通告する程度で、現実にはさほどやかましい注意ではなかつた。

(2) 工場内をデモ行進し、又右広場において蹶起大会を催すこと三回に及んだため、「工場の秩序の維持漸く困難を加えてきた。」との点は否認する。デモ行進は休憩時間中と工場外へ退去の際に限られたのである。

三、同第一の五

(1) 「五月三十一日正午頃闘争委員を先頭とし組合員約四百名がスクラムを組み縦隊をもつて第三工場内組合事務所に行進し、引返えして門から同事務所への区画された通路に坐込みを始めた。」との事実は否認する。坐込みは自然発生的に行われた。

(2) 午後三時から工場事務所内会議室で開かれた団交は「会社から遅払の事情の説明と六月三日支払の確約がなされて事なく四時頃終了した」のに、「右団交終了後も会社の退去要求にもかかわらず会議室に居残り、爾来六月四日朝まであえて立入禁止の仮処分命令を蹂躙した。」とあるが、遅払に興奮し、会社が組合圧迫のため故意に計画したものと考えて極度に激昂し、闘争委員を叱咤激励する組合員が正門から組合事務所に至る通路に(立入禁止仮処分によつて繩張りがされていた)自然発生的に坐込みを初めていた緊急事態下にあつて、会社側は遅払について組合側が納得もしないのに団交を打切つたのであるから、闘争委員らとしては引続き団交を継続せざるを得なかつたのである。そのためにそのまま団交場たる会議室に留つたのであつて、会社が退去を求めたことはなく、六月四日朝まで団交は中間に休憩時間を持ちつつ継続したのである。従つて会議室を不法占拠し立入禁止仮処分を蹂躙したというのは当らない。

(3) 午後四時過団交終るや「闘争委員たる浅野を含む組合員数名は立入禁止区域に乱入して碪課長を引ずり出せと騷ぎ、制止せんとした警務長石原勇を取囲み、大勢にて蹴りつねり、鉄筋コンクリート壁に押付けるなどもみ苦茶にして遂にその場に昏倒負傷せしめた。」団交の席上碪課長が「賃金を貰いたければ働きに来い」と発言したことが報告されるや、当時ロックアウト中であつたためこれを聞いた坐込み組合員を甚しく刺戟し、団交に加わらなかつた原告浅野もまた憤慨して「碪に事実を質すから呼んで来てくれ」と石原警務長に頼んだところ同人が「探したがいない」というので、「では自分で探してくる」と事務所に入りかけたのを、警務長が大手をひろげて阻止したので、それを見ていた組合員が激昂し、アツという間に同警務長を取囲んで揉み苦茶にしたのであり、原告浅野は組合員と共に暴行をしたのでも、又その指揮をしたのでもなく、むしろ極力これを阻止したのである。

(4) 午後七時頃、片山闘争委員長、砂場專従書記を含め、前記会議室に居残つていた闘争委員が事務室に入り河西事務長に対し本来の賃金問題に関し直ちに団交を開けと「強要し、口々に罵詈雑言を吐きながら、午後十一時頃まで約四時間にわたつて事務長を吊上げた。」というのは誤認である。賃金不払に憤慨して坐込んだ組合員に対し、会社が六月三日まで待てというからとて、そのまま引下がるものではなく、団交を続ける外恰好がつかなかつたのであり、又逸早く団交によつて事態を一挙に解決しストを打切ろうと考えたのに、河西事務長が一言も口をきかぬので憤慨してこれを詰つたのが実情である。

(5) 午後九時半頃原告橋本真太郎は「事務所の周囲を取囲みはじめた組合員ら大勢に対してその居場所を指令した。」とあるが、このような事実はない。

(6) 午前零時頃河西事務長が姿を隱すや闘争委員らは、「マイクを通して外部に対し事務長が逃げたので探している、と放送した。」事実は否認する。当時正門外には外部団体が応援につめかけていたので、闘争委員は事務長の行方不明をこれら応援団体や坐込み組合員に知られてはどんな騷ぎになるかも知れぬと憂え、秘密裡に探していたのが真実である。

(7) 「午前三時頃から再び前同様事務長の吊上げを続けた。」とあるが吊上げでないこと(4)において述べたと同じである。

(8) 午前四時に至つて会社は午前五時から団交開始を承諾した。碪課長は前夜十一時頃から正門前に連出され前記暴言について外部団体に吊上げられていたが、「原告橋本真太郎は会社の右団交承諾前に資材課長に対し、団交を開けば、こちらに来ている碪課長を返す意味の発言をし、」「碪課長を迎えに行つた闘争委員小高賢治が吊上現場に行き、団交が始るから来いと告げ、碪課長が自由を拘束されており行けぬと答えるや、自分が責任を持つというので漸く引揚げることを得たが、一人もこれを阻止する者はなかつた。」というように闘争委員に外部団体との間に吊上げの通謀や外部団体に対する主導性があるような認定は誤りであつて、外部団体は、闘争委員に対して「わざわざ応援に来ているのに何故団交の模様を報告せぬか」と迫り、又団交中騷がしいので注意したところ、逆に闘争委員を叱つて追返すなどして、闘争委員にはとうてい統御できなかつたのが実情であつた。従つて事実は会社側が碪が居らなくては団交要員が足りないから連れて来てくれとの依頼を受けて、組合側がこれを承諾し、小高闘争委員が外部団体に懇請しその諒解を求めて碪を連戻したのである。

(9) 五月三十一日午後から六月一日朝にわたつて「行動部員が第二組合に対し暴行脅迫をした。」事実は否認する。応援につめかけた外部団体がこの際第二組合員を説得して組合に復帰せしめんとし、第二組合員を門外に連出すべく計画し、組合員中これに協力する者があつたので、第二組合員は続々門外に連出されて吊上げが行われたのであるが、吊上げはあくまで外部団体の行為であり、行動部員の一部が連出しを援助したが、その場合にも暴行脅迫はしていない。

(10) 「六月一日午前五時から同月五日夜明け前までの間に前後十五回、延二十四時間にわたり昼夜の別なく深夜にすら団交が行われた。」とあるが、このことが当然に団交の強要になるものであることは否認する。

(11) 六月二日夜十一時半頃工場長が門内に入り工場事務所玄関前に到つたところ、「突如、片山闘争委員初め闘争委員ほとんど全員と行動部員二、三十名は、工場長を取囲み玄関に入るのを阻止し、片山委員長は野外団交を要求した。」とあるが、全くの誤認である。玄関に待つていた片山闘争委員長は感極つて工場長の前に進み、「工場長、この状況を見てやつて下さい」と組合員の坐つた状況を指したところ、工場長がこれに一顧をも与えず、「見た見た」といつて相手にせぬので、赤津勉を先頭とする一部の行動部員や一部の闘争委員らがその前に立塞がつたのであり、斗争委員会としては静粛に迎える旨の決定をしていたのに、これら一部の者が右決議に反して独自の行動に出たための混乱であつたのである。大声で「工場長野外団交をして下さい」と呼んだのは右赤津行動部副部長である。

(12) 工場長らが特別室に入つて鍵をかけたあと、「片山その他闘争委員及び砂場が特別室前の廊下に侵入し、その廊下に面した窓のガラス障子を外して」窓越しに団交を要求し、「折から特別室の外側空地につめかけている多数組合員に対して橋本真太郎が包囲を二重にせよ、出るのを絶対監視せよ、などと指令し、」「中から闘争委員が会社の沈黙は組合案を承認したものと思うがいかんといえば外部から異議なしと呼応するなど喧噪を極め、」「砂場が会社が承認した意味のことを紙片に書くと居合せた山台県窯連書記長がこれを持つて」窓を飛越え特別室内に闖入し、「工場長に対し執拗に調印を求めた。」との事実は否認する。

(13) 「六月三日午前八時半過頃から組合員が会社事務室内、電話交換台を占拠した。」とあるが、斗争委員らの全く関知しないことである。

(14) 同日昼頃労働基準監督署員が工場の状況視察に来て特別室に入ると「同時に片山闘争委員長初め闘争委員十名前後が会社側の制止をきかず特別室に押入つて床に坐込み、公開団交を行え、団交席上にマイクを据えよ、と要求し、二、三十分間押問答した、」とあるが、闘争委員が特別室へ入つて団交を要求し、砂場專従書記が会社側に対しじゆんじゆんと組合案を説明して陳情したことは事実であるが、それ以外は否認する。

(15) 同日午後、菊島経理課長が賃金を銀行から第三工場に持帰つた際、警官が附添つていたところから、「行動部員の赤津勉、岩田輝らが犬に護衛されて来るような金を受けるな。彼奴を入れるな。と叫び組合員数十名を指揮して、同課長を身動きできぬ状態に包囲せしめ、金袋を引張るなど暴行を加えて会社事務所に入るのを妨害した。」との事実は否認する。

(16) 「六月四日午前三時頃組合員の警戒が薄らいで来たのに乗じ、藤田工場長河西事務長外工場幹部らは辛じて工場裏手の板塀の隙間から脱出することを得たが、その塀に達する前、片山が追跡して来て工場に止るよう要請した。」とあるが、同日の参議院議員選挙のため会社側と組合側と話合つて工場幹部らは社宅に帰つたのであり、前日午後賃金が支払われた結果、坐込み組合員及び主婦の大部分は帰宅していたのである。外部団体も前日午後六時頃までにはほとんどいなくなつていたのである。従つて右認定は誤つている。

(17) 同日夜、会議室において団交が開かれたが、「会社側が不安を感じて特別室に逃げ帰るや、斗争委員らは又も特別室に侵入して団交を強要した。」とあるが、会社側が団交を打切つた理由が判らぬので追尾して行つて団交を要求したに過ぎない。

四、同第二の一の(一)

(1) 「組合員の坐込みは闘争委員らが本来の賃金問題を有利に解決するために計画した攻撃的なものである。このことは、坐込みの前日において既に『明日こそは断乎として反撃し閉鎖中の賃金全額を出せ、工場の前に坐込め、執拗に団交を要求せよ、主婦も子供も参加せよ、立入禁止をぶち破らねばならぬ』などと書かれた外部団体のビラが撒布されていたこと、当の賃金支払に関する団交は五月三十一日一回限りの団交で事なく終了し、爾後の団交においては全く問題とされなかつたこと、六月三日菊島経理課長が該賃金を銀行より持参し来て事務所に入らんとした際これを歓迎するどころか、かえつて多衆をもつて暴行を加えたこと、等から窺える。」とあるがこれらの事実はいずれも否認する。

(2) 「闘争委員らは外部団体と相呼応して会社幹部に団交を強要し譲歩を迫つたものである。」との事実は否認する。

(3) 「組合は、外部団体との呼応の外、組合員による坐込み、事務室の包囲、会議室の占拠、電話交換台の占拠等によつて、五月三十一日から六月三日夜半まで会社幹部をして畏怖のため、工場事務所内に留まらざるを得ない状態に陥れ、あまつさえ、その間会社幹部その他に対して幾多の暴行脅迫を敢えてした。」との事実は否認する。

五、同第二の一の(二)

(1) 原告滝川明雄

(イ) 「六月一日早朝から数回にわたつて組合員数十名を率い会社事務所内企画室に侵入し、殺気立つた大衆は、組合員による吊上げを遮けて集つていた新組合員約二十名に対し、その手足を引張る等の暴行を加え、『門外の大衆に挨拶せよ』『組合に復帰せよ』等と執拗に強要し、これら新組合員を顏色蒼白となるほど畏怖せしめ、その結果遂にこれを門外に連出した。」との事実は否認する。

(ロ) 「六月一日昼第三工場叺倉庫内に侵入し、会社所有の叺を無断で持出し、組合員の坐込みに使用させた。」との事実は否認する。

(ハ) 同日午後五時半頃、五、六名の組合員を伴い、社宅事務所に至り、既に当日は多数の新組合員が吊上げに遭つたことを知つて畏怖していた社宅係井口武松に対しその畏怖に乗じて組合復帰を強要し、復帰届に捺印させ、更に、同日午後七時頃同人を大衆の前に連出し、吊上げに遭わしめた。」との事実は否認する。

(2) 原告別所信夫

(イ) 「六月一日朝、会社事務所企画室に侵入し、滝川明雄と同様(前記(1))の暴行脅迫を行つた。」との事実は否認する。

(ロ) 「同日午前十一時頃組合員二名を率いて、第三工場炊事室に立入り、居合せた女子事務員を畏怖せしめた。」との事実は否認する。

(ハ) 「五月三十一日昼間第三工場叺倉庫に侵入し、同会社所有の叺を無断で持出し、組合員の坐り込みに使用させた。」との事実は否認する。

(3) 原告岩田輝

(イ) 「六月一日午前六時頃、十四、五名の組合員と謀り、工場社宅係正宗道雄を脅迫して、第三工場正門前の大衆に吊上げしめるために連出し、約三時間にわたる大衆の暴行を交えた吊上げに遭わせた。」との事実は否認する。

(ロ) 「六月二日午前十時頃、第三工場会社事務所内に組合員数十名と共に侵入し、特別室に出入りできないようにスクラムを組め、と指揮して一時間以上特別室前にスクラムを組ませ、その室の出入阻止を命じた。」との事実は否認する。

(ハ) 「六月三日午後、菊島経理課長が銀行から現金を持帰つてきた際、『あれを入れるな』と叫び、多数組合員を指揮して第三工場玄関前において、右課長に暴行を加えしめ、入室を阻止した。」との事実は否認する。

(4) 原告橋本泰之

(イ) 「五月三十一日から六月四日までの間数回にわたり前記立入禁止の命令を全く蹂躙して不法にも第三工場内警務室屋根の上によぢ登り、屋上より正門内外に蝟集する組員合及び外部団体の大衆に対し、嬌激な言動を以て煽動し、さなきだに険悪な空気を更に悪化せしめ、幾多の暴行脅迫を行うが如き気運を醸成した。」とあるが、屋根の上によぢ登つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(ロ) 五月三十一日午後四時頃、昏倒した石原警務長を会社職員が室内に担ぎ入れ、同人を静穩の裡に介抱するため、ならびに頓に険悪化して来た玄関前の大衆の乱入を遮けるため、急いで玄関扉を左右より引合せて、これを閉鎖施錠しようとしたところ、赤旗の竿尻を両扉の合せ目に突込み、実力を以て閉鎖を妨害した。この隙に斗争委員らが扉に手をかけ強引にこれを全開したとの事実は認めるが、この事実と「爾後事務所内は組合員らの擅に横行するに任せられるに至つた」ことは関連性がない。

(ハ) 「五月十二日午後八時頃から大淵社宅二七八号空家に管理者の許可なく無断で侵入し、部外者も交えて約二十名を以て民主青年団支部結成の協議を行つた。」とあるが右日時に右空家に立入つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(ニ) 「六月一日午後六時頃第三工場炊事室に数人とともに立入り居合せた女子事務員を畏怖せしめた。」とあるが、右日時に右炊事室に立入つたことは認めるが、その余の点は否認する。

六、同第一の七

「原告堀本浩は七月十八日午後一時頃第一工場臨時控室において何らの理由もないのに突如工員浦光男の顏面を三回殴打し鼻から出血せしめた。」との事実は否認する。原告がふざけていて偶然手が一回当つたことはある。まして休憩時間中のことで、業務上の支障もなかつた。

別紙第四

昭和二十五年岡委不第四、五号

昭和二十六年中労委(不再)四六、四七号

品川白煉瓦不当労働行為事件記録

(審問調書及び審問速記録を除く)

綜目録

昭和二十五年岡委不第四、五号関係

証号

丁数

地労委における証号

摘要

提出者

乙第一号証の一

申立書(岡委(不)第四号)

組合

(以下省略)

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